晴美の独り言

索引

番  号 日  付 内    容  
2494 14/06/29
(日)
声楽アンサンブル

 現在、オーケストラ伴奏で200人強で歌うアマチュア合唱団に所属させていただき、楽しませていただいている。健康上の理由で今は退団したが「第9」を歌わせると世界一という評価もあるT合唱団(一応アマチュア合唱団)で一緒に歌っていた頃と比べると、現在所属している合唱団の場合、ややもの足りなさを感じていた。
 先日、地元紙に「声楽アンサンブル・メンバー募集」という広告を見かけた。早速見学に出かけた。見学者は私一人。練習参加メンバーは指導者、伴奏者を含めても10名以下。私にとっては理想に近い人数だ。「イル・ディーボ」や「フォレスタ」のような少人数のコーラス・グループで歌いたいという欲求が私の中にはここ最近湧き上がっていたのだ。個々のメンバーの質もとても高く思えた。私のような素人が加わってよいものか躊躇してしまうほどだ。見学中、譜面を渡され一緒に練習に参加するよう促された。練習後、代表者から一緒に歌わせていただく許可を得た。一応メンバーからも受け入れていただけたようだ。ほぼ月1回のペースで介護施設や教会などでの慈善コンサート出演やチャリティ・コンサートが予定されているそうだ。これまで2回のコンサートに出演させていただいたが、メンバーの過半数が独唱もされる。めちゃくちゃ上手だ。代表者の方も話されていたが、このグループ、声楽を本格的に学ばれた方が多いとのこと。一緒に歌わせていただくようになった後で「スッゲ〜ッ」実力者集団であることを知ったのだが、正直恐ろしくなってきた。人数が少ないので一人ひとりのメンバーの責任は大きい。もしかしてアンサンブルを私がぶち壊しているのではないかと心配にもなってくる。代表者の方は私をおだて上げいずれコンサートで独唱もするように誘われるが、その手には乗らない。恥はかきたくない。まだまだ、私の場合実力不足だと思う。でも今後練習を重ねいずれ他のメンバー並みの実力を付け独唱できるようになりたいとは思っている。この声楽アンサンブル、2回/月の練習と本番の繰り返し。慈善コンサートでは10曲弱、独唱も含め合計1時間前後の演奏会だ。
 200人の合唱団では今は11月の演奏会を目指しハイドンのオラトリオ「四季」を練習中。声楽アンサンブルではどちらかというと「花は咲く」など馴染み深いポピュラー系の小曲やオリジナル曲を練習中。
 
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2493 14/06/18
(水)
ミニスカート

 某格安航空会社のキャビン・アテンダントの制服がミニスカートというのでニュースをときたま賑わせている。ミニスカートのCAなんてとても迷惑と思うのは私だけだろうか? 殆どの男性は、内心ミニスカートの女性に対して迷惑感を感じているのではなかろうかと思う。電車などで向かい側の座席にミニスカート姿の女子高生が座ったりすると、ホント、目のやり場に困ってしまう。向こうの窓を通して景色を楽しみたいと思うが、ヘンに勘違いされても困るというので、仕方なく寝たフリをしなければならないことがある。狭い機内でミニスカートのCAがうろちょろされても目のやり場に困ってしまう。 こんな航空会社の飛行機には乗りたくない。ミニスカートの制服を決めた航空会社の責任者のセンスを疑ってしまう。
 
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2492 14/06/16
(月)
テレビCM

 ここ数年の日本のテレビCM面白くなってきたような気がする。健康上の理由もあるがテレビを見ながら一人でゲラゲラ笑うことが多くなった。何年か前、通信キャリア会社S社のCM、確かモニュメントバレーーを背景にしたCMだったと思う。この頃からS社のシリーズ物のテレビCMに注目していた。未だに面白いCMだと思う。秀逸だと思う。CM企画者に敬意を表したいほどだ。数ヶ月前だったと思うが、やはり通信キャリアのCM、他社と差別を強調するためCM上で「D社、S社、A社」と伏せてはいるがどこの競合社かまるわかりのCMを流していた。丸分かりなのがとても面白く感じた。面白いCMを流しているが、私は未だにD社のガラケー長期ユーザだ。好き嫌いはあるだろうが、私はD社のCMは余りにもセンスが悪すぎるように感じている。
 物流会社のN通運の引越しに関するCMも面白かった。上戸彩が上司にささやくCMだ。上司のおやじ臭い期待感と可愛い女子社員との別室での会話が面白い。
 面白いと思ったのはこんなものかな・・・。私の場合、テレビCMで直接的に購買意欲に結びつくことは少ない。精密機器のE社製品、3DグラスのCMなど興味はそそられる。すぐにインターネットで製品仕様や価格などを調べる。健康面で不安があるのとまだ高価なのですぐには購入する気にはならなかった。
 
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2491 14/06/15
(日)
カタカナ言葉

 最近テレビなどでよく使われるカタカナ言葉が気になる。「リスペクトする」という表現。多くの方は「敬意を表する」とか「尊敬する」という意味として使われていると理解していると思うが、理解できない視聴者特に年配者に多いのではないかと思う。何故、もとからある日本語で表現しないのか理解に苦しむ。微妙なニュアンスの違いがあり、意図的に「リスペクトする」と表現しているならば少しは理解できるが、視聴者には微妙なニュアンスの違いは伝わらない。一説には「敬意を表する」という表現は使用に当たって気恥ずかしいという理由も考えられるそうだ。カタカナ言葉を使用することでかっこよく思われるとでも期待しているのだろうか? 私は全くカッコよいとは思わない。バカみたいと思う。「リテラシー」という言葉も最近よく耳にする。一般には余り使われていないようだが、テレビのコメンテーターなどがよく使っている。「『コンピュータ・リテラシー』に起因するのですよね〜」などとコメンテーターが話す。視聴者にとっては意味がよくわからない。「コンピュータに関する情報格差がありすぎるのですよね〜」だと多くの方は理解できると思う。このときのコメンテーターは一般人がよく理解できない言葉を使って自分自身は一般人とは異なるとでも主張しているようにみえる。バカだね〜と思う。
 もう20,30年前のことだが、社内会議の席上「これからはアウトソーシングの時代ですよ」と力説する社員がいた。当時はまだ目新しいカタカナ言葉だった。会議の流れ上、何となく、「外注」とか「外部委託」の意味のように思われたが、席上、「アウトソーシング」の意味を問いただすことはしなかった。後で思ったが、これも会議の席上で自説を通すテクニックのひとつであると思った。昔述べたこともあるが最近はあまり使われなくなった「マニフェスト」という言葉も、聞く側を惑わせる言葉のひとつだと思う。
 言葉は時代と共に変化するものとは思うが、昔からある誰もが理解できる言葉で伝達することが肝要だと思う。言葉の使用を商売にしている方は特に留意していただきたく思う。世間に十分浸透していない意味不明瞭なカタカナ言葉を濫用する人は私は余り信用しない。多くの場合ごまかしとか自分をかっこよく見せたがっているという意図を感じるからだ。もし、カタカナ言葉を使う必要があるならば、対訳に当たる元からの日本語を示し微妙なニュアンスの違いを説明した上でカタカナ言葉を使う必要性を述べていただきたいと思う。
 
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2490 14/05/02
(金)
韓国旅客船沈没事故

 事故からもう2週間以上も経過しているのに未だに日本のテレビ、新聞等は事故関連のニュースを大々的に報道している。熱しやすく冷めやすい日本のマスコミだが、今回は少々いつもとは異なる感じがしている。
 多くの若者が亡くなり気の毒に思う。救助が来ていて船室の窓を叩き救助を求める高校生の映像を見て、この高校生を自分に置き換えてそのときの心情を思うと胸が引き裂かれそうだ。とても無念だったろうと思う。
 最近の事故関連の報道は韓国社会の恥部に関するものが多いように思う。偽ダイバー、偽遺族、大統領演出疑惑・・・、平気で嘘を言い続ける韓国人。カルト宗教、財閥の問題、政財界癒着、格差社会・・・。この事故関連で日本報道機関が抉り出す韓国恥部を認識すると、竹島問題や慰安婦問題に対する韓国の主張が極めて脆弱になってきている感じがする。
 日本人はさすがにお行儀が良いと思う。品格がある。これだけ韓国社会の問題点が晒されているにも関わらず、慰安婦問題との関連性等には一切触れない。賢明だと思う。今回の事故で「やはり、韓国は信用できないな〜、韓国とは慰安婦問題なんてまともに議論できないよね〜」と感じている日本人は多いと思う。私も昔スナック経営時韓国テレビ局の取材を受けたことがある。店内撮影において撮影禁止箇所を約束しているにも関わらず平気で隠し撮りを行っていた。このような体験から韓国人は平気で嘘をつく、約束を守らないという先入観を私は持った。今回の事故で浮き上がった韓国の社会背景等と慰安婦問題を関連付けることをマスコミや公的機関は絶対に行わない方が賢明だ。こういった意見は私のような個人が無責任な立場で言い放てば良いのだと思う。とはいえ、日本のマスコミ、これだけ執拗に韓国社会の問題点を次から次へと報道しているのはもしかして慰安婦問題などに対する国益を考慮した国際戦略の一環かなとも邪推してしまう。
 
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2489 14/04/02
(水)
天気予報

 一昔前までは天気予報は当たらないものの代名詞のような感じだったが、最近の天気予報の的中率はかなり高いと思う。テレビの天気予報ではよく1週間先までの天気や温度などが示される。最近はほとんど的中していると思う。10年前と比べると格段に的中率が高まっていると思う。恐らくより高性能な気象衛星などの観測データの充実とかスーパーコンピュータによる計算精度の向上などでかくも精度が増したのだろうと想像している。
 10年、20年、50年、100年といった長期レンジで俯瞰すると科学技術の進歩は凄まじい。加速度的だと思う。6年後(東京オリンピックの年)、16年後(火星への有人飛行)、**年(核融合発電の実用化)・・・、を実際に目撃できるように生き延びたいという思いが益々強くなってくる。
 
建立は最近だが、東京大仏。奈良、鎌倉に次いで大きな大仏らしい。
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2488 14/03/24
(月)
来よ!春

 現在ハイドンのオラトリオ「四季」を練習中だ。最初に歌われる合唱曲は日本語で「来よ!春」と訳された有名な曲だ。歌い出しは"Komm! Holder Lenz! Des Himmels Gabe Komm!"と春の訪れを喜んでいるか待ちわびているとても優しい有名な曲だ。北ヨーロッパの長くて暗い感じの冬を耐えて、輝きに満ちた春の訪れを喜ぶ感じとか自然に対する感謝が見事に表現されていると思う。
 昔は私にとって冬はスキーシーズンで、春を待ちわびるという気持ちにはなった記憶がないが、今年はかなり待ちわびた。現在は体力的な面からスキーを楽しむ自信はない。今年の冬は個人的にはかなりきつかった。外出すると上半身のあちこちが痛む、何となく圧迫される、鳩尾辺りで胃が下に引っ張られるような痛みを感じるなど、外出が怖く思える日も多かった。恐らく室内と戸外の温度差が大きいため色々な不快感が生じるのだろうと想像しているが、もしや癌細胞が増大し痛みを生じさせているのではないだろうかと不安にもなる。 おかげで散歩もこの冬は殆どしなかった。毎日5000〜10000歩歩くのを目標としていたが、最近は家に引きこもり1500歩前後のことが多い。暖かくなると何となく体調がよくなってきたような気がする。痛みを感じる時間も少なくなってきたように感じる。この痛み、一人で気にすれば感じる程度の痛みで、多分神経性の痛みではないかと思っている。いや〜、早く暖かくなって欲しい。
 
ハイドンのオラトリオ「四季」
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2487 14/01/19
(日)
我思う、ゆえに我あり

 先日の定期的な検診によるCT画像で、右肺上葉に直径2cm程度の増殖性の陰影が指摘された。まだ確定はしていないが癌細胞の可能性が非常に高いと思っている。もしがん細胞ならば、極めて深刻な問題だ。右3つ、左2つある肺葉のうち過去2回の手術で2つ肺葉を切除している。肺活量は残りの肺葉が膨張しているので切除した分だけ減るということはないが、肺胞の数は増えないので、肺のガス交換能力は肺活量の増大に比例して能力向上するというわけではない。恐らく肺胞の数は2011年の手術前と比べて50%以下だろうと思う。
 今回指摘された陰影がもし癌細胞だとすれば、3回目の手術はさすがに右肺上葉を切除するのは難しいらしい。過去2回の手術経験から私の場合、今のところ抗がん剤治療は殆ど効果がないようだ。手術が無理とすれば残りは放射線治療か重粒子線とか陽子線とかの先進医療しか助かる見込みはない。極めてヤバイ状態なのだ。
 まだ2cmの大きさなので肺葉の一部切除、部分切除、あるいは区域切除という手術方法も残されている。主治医にこの手術方法について言及した。中学生の頃から喫煙を続けてきたためか肺と胸壁とに癒着があり、困難な手術になるかもしれないが可能とのこと。少し安心した。
 今後どのようになるか分からないが、またより現実的に自分自身の「終わり」を意識せざるを得なくなった。より真剣に「生きていることとは?」、「人生とは?」、「死ぬということとは?」、「自我とは?」などと哲学的な瞑想を従来以上に深く行うようになった。
 誰しもそうだろうが「自分の死」は恐ろしい。考えるだけでも恐ろしい。今まではこの問題に関しては忌避し続けてきたが、さすがに今回は考えざるを得ない。何とか自分の死を受け入れるために理論武装したくなる。
で、掲題のようなデカルトの「我思う、ゆえに我あり」を思い出した。なぜ「死」が怖いのだ。多分今生きている自分を私自身の「自我」が客観的に見ているので、その自分が意識から消失することが恐ろしいのだろう。このように自我が存在して考えているが故に「生きている」ことを実感しているのであろう。
 自分にとって「死」とは? 全身麻酔をかけられているときのようなものかと思っている。麻酔をかけられるとき「さ〜、麻酔がかかるぞ〜」と思った瞬間、目覚める。手術時間が何時間かかろうと、瞬間的に思えるのだ。麻酔がかかっているときの時間経過が全く感じられない。全く自分の「意識」が介在しない麻酔中の時間なのだ。睡眠とは少し異なる。睡眠の場合、何となく睡眠中の時間経過を感じる。
 自分にとって「死」とは? 「無」に帰することかとも思っている。「無」の定義も難しい。3次元的にイメージする「無」ではない。ホーキング博士によると宇宙はもともと「無」であり、何かの拍子で「無」のバランスが崩れて宇宙創生となったらしい。穴を掘り、掘り起こした土が山になるのと同じように、ビッグバンの初期に「無」から空間とエネルギーが同時に形成される。アインシュタインの相対性理論は空間と時間の関係を解き明かし、有名なE=mc**2で示されるようにエネルギーと物質の等価性を示した。こうして宇宙が物理法則にのっとり現在に至っているようなのだ。
 私たちが生きている宇宙と、「自我」が存在するかもしれない脳内宇宙は何か似ている感じもする。宇宙創生時の「無」と自我の「死」何か類似性があるような気がする。
 
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2486 13/11/29
(金)
運転マナー

 少し思い返してみた。免許取得以来、国内30万km、海外15万km、ゲーム・グランツーリスモ40万km程度車を運転してきただろうか。多分合計100万kmは超えていないと思う。無事故・速度違反多数、駐車禁止少々の私の運転歴だ。かなりの飛ばし屋だが、臆病でもある。安全運転を心がけている。基本は見えている範囲内で停車できる速度以下で走ることを心がけている。従って見通しの悪い住宅街などでは特に遅く走る。逆に高性能な車で見通しの良い道路ではかなり速度を上げて走る。ブレーキを踏み込むときはルームミラーで後方確認を行いながら慎重に制動する。これらが長年無事故を続けてこられた秘訣だろうと思う。
 最近埼玉県境近くに引っ越してきて埼玉県側を散歩することが多い。新宿で生活をしていた頃は殆ど感じなかったのだが、埼玉県に入ると、車の運転者のマナーの悪さや、運転技術の拙さが顕著に思う。横断歩道を渡っていると車は速度を緩めるどころか加速し、私の方に向かってくる悪質な運転者もいた。本当に腹が立つ。いつも渡る横断歩道なので最近は悪質な運転者に遭遇した場合、写真撮影するようにしている。
 なぜ埼玉県の運転者は運転技術未熟でマナーが悪いのか? 大体マナーの悪いドライバーは自家用車が多い。職業運転手は運転経験も豊富で、事故の恐ろしさとか運転自体にも余裕があるので周囲に十分目が行き届き弱い立場の歩行者を守る余裕があるのだろうと思う。総じて下手でマナーの悪い運転手は高齢者が多い。見るとハンドルにかじりつき前方の一点しか見ていない感じがする。要は横断歩道横断中の歩行者に気づいていないか、歩行者が引き返すとでも勝手に思い込んでいるようなのだ。
 なぜ、埼玉県には下手糞な運転者が多いのか。よくよく考えてみると東京都心では下手糞な運転者は乗り入れていないからだと悟った。都心部では車の運転は技能的に無理だろうと思う。
 私も世界中をドライブしてきた。でも中国、韓国などでは、地元の運転者は技能的には上手なのかもしれないが、運転マナーが悪くて、私は怖くて運転できない。それに引き換え欧米では私は多分、上手に運転していると思う。イタリアでは殆どの運転者が速度違反しているが、運転は上手だ。高速道路の一番内側の車線はまるで速度200km以上の車しか走れないような感じだ。200km以下で走っているとすぐに後続の高性能者にライトを点滅されてしまう。運転の技量という点ではやはり都市部の運転者は上手だと思う。割り込み技術では大阪で鍛えると世界中で通用すると思う。高速走行ではロスアンゼルスとかニューヨークの通勤ドライバーが上手だ。NYで朝の通勤時片側5車線以上あったと思う高速道路でハンバーガーを頬張りながらすいすい車線を変えながら走っている運転者を見かけた。危険なのだが周囲の車も慣れたもので互いに譲りながらそれなりの秩序を保ちながら走っている。少し感激した。とはいえ車社会のアメリカ、地方の山道などでは総じて運転は下手だ。カーブでは必要以上に速度を落とす運転者が多い。速度一定を保つオートクルーズ機能が彼ら速度を頻繁に変えるドライバーのために使えないことが多い。
 それにしても埼玉県の運転者のマナーは悪すぎる。下手すぎる。原付バイクを運転していても頻繁に感じる。見通しの悪い道路や、赤信号手前で車間距離を詰めて煽るのは止めて欲しい。もう少し余裕を持ち頭を使って弱者に優しい運転を心がけて安全運転して欲しいと思う。
この軽四ドライバー、私が横断中に速度を緩めるどころか加速してきて私に向かってきた。とても悪質だ。私が横断歩道を渡り始めたのは、この軽四の後ろ2,3台目辺りにいたとき。この車線の1/3程度踏み入れたとき加速してきたので引き返さざるを得なかった。ブレーキを踏まずアクセル・ペダルを緩める程度で走行できる程度に離れていたのに加速するとは・・・、ボケ〜。
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2485 13/10/28
(月)
近所のスーパーにて

 自宅から200m程度のところにあるスーパー、近隣のいくつかのスーパー等の中では一番安いと思う。最近は毎日買い物に行っている。何か買い物に出かけなければという強迫観念が芽生えているような気もする。このスーパー、価格を抑えているためか、人件費は抑制気味だと思う。レジでは結構待たされることが多いと思う。なるべく客の少ない時間帯に買い物にいくように心がけている。レジではクレジットカードが使える。このスーパーのカードを使うと5日と20日は5%引き、その他は1%引きとなる。5日と20日には日持ちするものをまとめて購入するようにしている。すっかり主婦しているという感じだ。
 このスーパーでクレジット・カードを使用するのは価格面でお得なのとレジでの処理が速いからだ。小額の買い物でもカードで決済するようにしている。このスーパー、購買者層はどちらかというと高齢者が多いようだ。高齢者の方は余りカードを使用されていないようだ。現金決済が多い。なぜカード決済にしないのか理解できない。レジで後ろに沢山のレジ待ちの列があるにもかかわらず、財布から小銭をかき集めてレジ作業を煩わせている。後ろで待っている人たちにも気を使っていただきたく思う。
 
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2484 13/10/25
(金)
核のごみ

 テレビ等で核のごみ問題や福島原発の汚染水問題等を悲観的に放送しているのを見ると暗い気持ちになってしまう。放射線被爆に関しては、ここ最近年間4,5回はCT撮影や数え切れないほどのX線撮影を受けているのでかなりの被爆量だと思う。ちなみにCT撮影1回で6ミリシーベルト程度の被爆量らしい。これだけで年間許容被爆量を超えてしまうほどだ。でも今のところ特に被爆の影響が出ているとも思えない。国際宇宙ステーションに長期滞在する宇宙飛行士は250ミリシーベルトとも言われている。宇宙飛行士が被爆被害を受けたという話も聞いたことがない。十分な科学的根拠もないのに放射線被爆の悪影響を悲観的に報道するのもいかがなものかと思う。東日本大震災時、時の民主党政権がいたずらに放射能汚染の恐怖を煽り、責任を東電に一方的に押し付けてきたことが今日まで引きずってきていると思う。そのとき政府に迎合したマスコミにも腹が立つ。安部政権になってからのマスコミの豹変ぶりも驚きだ。まったく〜、最近のジャーナリズム劣化、嘆かわしい。
 核のごみ問題に関しても私は楽観的だ。核のごみは10万年経過しても残るというので厄介者扱いだ。現在の科学技術水準では確かに厄介者だろうが、科学技術の進歩は凄まじい。放射線がキュリー夫人により発見されたのが1985年、ラザフォードの原子模型が提唱されたのが1911年。このときは原始は電子、陽子、中性子から構成されると考えられていたが、これらの粒子も17種類の素粒子で構成されることが最近判明してきた。ヒッグス粒子も含め予言された17種類の素粒子すべてがほぼ発見された。それでも宇宙の物質の1/3程度しか説明できないらしい。まだまだ、人類には分からないことが多いのだ。僅か100年で質量の本質や宇宙の創成期の状態までもが明らかになってきた。ライト兄弟が初飛行して110年、今や宇宙空間に国際宇宙ステーションや火星探査機が活躍している。コンピュータが登場してから70年、今や家庭のパソコンは一昔前のスーパーコンピュータ並みの性能になっている。インターネットの前身であるARPNETが登場してから40年強、今や殆どの人がネット世界の恩恵を受けるようになっている。この科学技術の進歩の凄まじさを思い起こして欲しいと思う。恐らく核のごみなんて50〜200年後には核種変更などの技術が確立され、現在厄介者の核のごみは将来貴重な資源となりうる可能性も高いと思う。漠然とした恐怖に怯え前向きに行動しないというのは私には合わない。私が自治体の長ならば率先して莫大な補助金等をいただき核の保存場所を提供し豊かで快適な街づくりを推進したく思う。
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2483 13/10/15
(火)
詭弁

 今、某保険会社と手術給付金に関して係争中です。現在の医療の実態と約款で想定する手術形態などに不整合が生じており約款不備が存在することを保険会社に私は訴えています。基本的には医療の急激な進化と法令類の改正に対して保険会社による約款の見直し努力が足らなかったことが原因ではないかと思っています。文書で保険会社とやりとりしていますが、実に面白いです。苦し紛れの詭弁の回答が目立ちます。私もそれなりに論理学を再学習もしてみました。論理学を勉強すると詭弁を見破る能力も高まると思います。
 詭弁には大きく2通りのタイプがあるように思えます。文科系的と理科系的です。文科系的というのは例えば難解な文章で曖昧にして誤魔化す、「皆が」とか「一般的には」と公認されていない論理を当然視して説得する、無関係な話を持ち出して論点を外す等、言葉を巧みに駆使して相手を説得するケースが多いように思えます。理科系的というのは統計や数学を駆使して相手を煙に巻くなどのテクニックです。数式を用いて説得する場合はどちらかというと詭弁ではなく正当性を立証するために使うことが多いと思いますが、相手が数学的な論理思考ができないと判断した場合、途中で論理展開を省略して誤魔化す場合もあります。統計はインチキが多いと思います。特にアンケート調査結果など信用できないものが多いです。RDD法による2000人を無差別に抽出して・・・、という注意を述べた上で結果がよく公表されます。確かに無差別に2000標本を採取すれば統計データはそれなりに有意ですが、問題はアンケート内容にあります。例えば実際は、Aを支持する:20%、支持しない:20%、どちらともいえない:60%であるときアンケート内容がAを支持しますか? そうではないですか?という設問の場合、結果としてAを支持する:20%、支持しない:80%になってしまいます。逆の質問をすると結果は大きく異なります。
マスコミ等のアンケート調査結果など、それなりに注意深く考察しなければ勘違いさせられてしまいます。場合によれば世論誘導さえしかねませんので注意が必要です。
 ま、世の中には詭弁が実に多いと思います。詭弁を見破るには、常に「何故」と考える習慣が必要と思います。
 
500万本のヒガンバナ
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2482 13/9/20
(金)
バイク事故

 やっちゃいました・・・・。バイク事故。バイクの操縦は昔から苦手だった。高校時代には無免許で原チャリを運転していたこともある。学生時代、友人の自動二輪を初めて運転させてもらったことがあるが、これが昔のクラッチ式の車。操作が未熟で危うくバイクだけが飛び出し置いてけぼりを喰らうところだった。それ以来バイクに対しては苦手意識が強く、つい最近まで運転することはできなかった。
 最近、原動機付きバイクを購入した。発進、停止時のよれよれとした自分の運転振り、下手だな〜とは自覚していた。でも歩行者優先のマナーの良い運転に関しては速度違反を除き超優良運転手だと思う。
 先日、信号待ちで停車しているとき、座先から腰を上げ、前の買い物籠を触っていた。このとき信号が青に変わった。後ろにも車がいて慌てたのだろう。座席に腰を下ろす前に右手のアクセルレバーを少し回してしまった。バイクだけが前に進み前の停車中のタクシーに追突しそうになる。慌てた。右側に転倒してしまった。わずかにバイクがタクシーに接触してしまった。タクシーの左バンパーに微かに掠った痕が見える。すぐに事故処理を行う。警察を呼ぶ。保険会社に連絡する。タクシーとの連絡先を互いに交わす。警察官が自転車でやってきた。事情聴取を受ける。説明しているときどうも右上半身が痛む。いつもの手術後遺症かな〜と思っていたが少し違う。警察官や保険会社の担当者の奨めもあり、救急車を呼び病院に行くことにした。救急車が到着した。救急車内に入る。中で色々事情を聞かれる。心拍数、体温、酸素飽和度等を測定される。サイレンを流しながら信号や車線にかかわらず最優先で走行しながら病院に向かう。この普段ではできない道路交通、ちょっぴり快感。病院到着。救急病室で処置される。擦り傷5箇所、胸の痛みを医師に伝える。X線撮影、撮るわ撮るわ、胸、手、腕、膝など10枚位撮影されたのではなかろうか? 医師の説明を受け会計に向かう。自己負担20割。3万円以上請求された。事故の場合、自己負担率が高いらしい。
 帰宅後、やはり胸が普段とは違う痛み。翌日病院に行く。整形外科。診察室でX線写真を見ながら右肋骨骨折とのこと。ちょっとショックだが日頃の手術後遺症の痛みとそんなに違わない。自然治癒で対処。2週間程度かかるらしい。事故当日は気が付かなかったが内出血3箇所、大きな青あざができていた。
 任意保険に入っていてよかった〜。自分の運転未熟の事故なのでタクシー会社に対する対物賠償保険以外にも、私自身に対する給付金も出るらしい。特約なのだろうがお見舞金、通院、交通費などが出るらしい。保険金は下りるらしいが来年の保険料は3階級ダウンするらしい。速算してみた。多分、保険適用した方が得なようだ。1,2ヶ月前に保険をかけたのだが、以前の入院時の医療保険といい、保険の責任開始直後に支払い事由が発生しなにかと悪運が強そうな気がする。まるで自分の体を投げ売りして保険金を受け取っているようだ。給付金受け取りよりも無病、無事故の方が断然ありがたい。
 
ギネスにも登録されている世界一沢山の星を投影するプラネタリウムが設置されている多摩科学館
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2481 13/9/8
(日)
地球温暖化

 2020年東京オリンピック開催が決まった。これまでの国内に漂っていた閉塞感が消え希望に満ちた日本に変わっていくのが楽しみだ。
 2020年第32回東京オリンピックは7月24日〜8月9日、第16回パラリンピックは8月25日〜9月6日の予定で開催されるらしい。東京をはじめ日本全体がダイナミックに魅力ある国へと変貌するのが楽しみだが、この開催時期が気になる。
 今年の8月は実につまらなかった。私の人生でも最悪の夏だったと思う。猛暑、ゲリラ豪雨などのため外出できない日が多かった。子供たちも例年通り夏休みを十分に満喫できたとは思えない。最近の異常気象、毎年顕著になりつつあるように思う。7年後はもっと極端な気候になるのではと心配している。気温が40度を超える屋外での過酷なマラソンや長距離徒歩が行われるのは想像したくない。ゲリラ豪雨被害が多発している開催地も想像したくない。2020年東京オリンピックは楽しみだが、開催時期の天候がとても気になる。屋外競技は本当に行えるのか?
 最近の気候変化の大きさを考えると日本ももう亜熱帯気候になってしまったのではないかと思う。5年前アラスカを旅行したとき、氷河の後退を目の当たりにした。氷河の先端が毎年何10mも後退しているのだ。地球温暖化の影響が顕著に現れているのを実感した。北極海の氷も少なくなり、北極海の温度上昇も加速するだろう。今年の日本の夏の猛暑、集中豪雨は太平洋の海面温度の上昇もひとつの要因と報じられている。深刻なのは太平洋の表面温度ではなく深海部の温度も上昇していることだ。太平洋に限らず地球規模の温暖化が進行しているのだろうと思う。
 二酸化炭素の地球規模の排出量が増加しているのも温暖化の大きな原因のひとつだろうと思う。排出量の増加を抑制するためにはエネルギー消費量の増加を減らすのが効果的だろうが、現在の快適な生活環境を後退させてまでエネルギー消費量を減らしたくはない。エネルギー政策について長期的視野にたちより検討して欲しい。
 
散歩中たまたま見かけました。
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2480 13/9/3
(火)
企業の品格

 昔、藤原正彦著「国家の品格」という本を読んだ。著者の考え方とか生き様にかなり共感する部分があったと思う。著者の随筆等をときどき散見するが、人生観、世界観などかなり共感するのだが、著者の人柄が文章を通じてだととても神経質でお付き合いしにくそうにも感じる。昔、著者の学生たちと話したことがある。学生によると著者はとってもお茶目で素晴らしい人柄の先生であるらしい。
 、お国家の品格の内容は覚えていない。「品格ってなんだったかな〜?」というレベルだ。安部政権になってから何となく国家の品格も高まってきたような気もする。
 過去色々な業界の方々とお付き合いさせていただいた。今から思うと最初にお世話になった鉄道間会社、とても品格が高かったと思う。地味だが、いざ鉄道事故が発生すると原因究明とか再発防止のための姿勢が凄まじかった。顧客サービスも大事だが安全が最大のサービスという感じだった。金融界、メガバンクから信用組合、銀行、証券、保険会社とも付き合った。中小の信用金庫や信用組合はとても人間臭く泥臭いのだが親しみがもてる職員が多かったと記憶している。業界トップクラスになると悪しき企業風土がプンプンと感じられた。責任逃れ体質の銀行、アバウトな証券業界・・。製造業も千差万別だが全体的に私は交換が持てた。技術者魂、挑戦的、顧客対応・・・、企業規模が大きくなるにつれ企業としての品格が高いような気がする。自動車業界なんか特に感じる。通信キャリア会社、お付き合いした経験はないが、テレビCMなどでしかうかがいしれない。かつて後王的なシェアがあった会社の凋落振り。追従する同業他社と同じような営業戦略、わかりにくい料金体系・・・、もう少しトップ企業としてのリーダーシップをみせていただきたかった。追従する会社の面白いテレビCMに比べかつてのトップ企業の下品で何を訴えているのかわかり難いCM、大企業に蔓延する無責任体質が強く出ているのではと感じさせられてしまう。
 企業の品格という観点からすると私の主観ではあるが金融界が一番悪いと思う。昔、士農工商とはいったものだ。自分では直接的に財を生み出せない業態のためか利潤追求姿勢が目立ちすぎるように感じる。利潤追求姿勢といえば、私は昔スナックを経営していた。店名は「スワンの夢」。知人が私が休みの日に営業させて欲しいという申し出があった。彼が営業するときの店名は私の「スワン(白鳥)の夢」と対比させ「黒鳥(ブラック・スワン)の夢」とした。僅かな期間の営業だったが、かなりの利潤を上げていたようだ。どちらかというと上品な「スワンの夢」に対して下品な雰囲気の「黒鳥の夢」の方が利潤は大きかったと思う。このとき以降悟った。「利潤をあげるためには『エロ・グロ』、下品な頭のよくない顧客から搾り取る」これは真実だと思う。有名タレントを登場させ雰囲気だけのテレビCMを流すことで大きく売り上げを伸ばす企業も多い。売ろうとする商品の優位性を訴えることも無く、あまり考えず衝動買いしてくれる顧客をおだてあげる方が利潤追求という側面では有効なのかもしれない。でも従業員をかかえ、継続的に会社を存続させるためには、ひっかけ技に頼ることなく本手で挑むべきと考える。まぁ〜、企業の品格という観点からも最近は格差拡大しているような気がする。下品な会社も結構台頭しつつあるが、早く淘汰されて市場から撤退していただきたいと思う。
 
散歩コースにはひまわりが咲き誇っていました。
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2479 13/9/2
(月)
怪しいグラフ

 金融界で使用されるグラフ類というのは分かりにくいのが多い。右のグラフはたまたまテレビで放映されていた番組で登場していたグラフだ。出演者によると日銀作成の資料らしい。何となく赤と青のグラフは相関関係が強そうという感じがするが、どうも怪しい。右側の縦軸、青のグラフの目盛りだが、これは0を基点とした比率、右側の目盛りは赤のグラフの目盛りなのだが、こちらはグラフの原点部分(0兆円)を省略したグラフ。変化を強調するために部分的にしかグラフを表示しないのはよく見かけるが、こういったグラフは私は余り信用しない。意図は理解できるのだが一部を強調するだけで錯覚させる危険性が非常に大きいと思う。省略されているのを理解した上でグラフを眺めてもらえると思うならば、グラフ制作者の大きな勘違い、おごり、甘えだと思う。意図的に勘違いさせる誤認誘導を目的としたグラフとみなされかねないと思う。
 で、例示したグラフを少し修正してみた。右側の縦軸と左側の縦軸の原点を合わせること、マネタリベースを絶対的な額ではなくある時期の値を1とした相対的な比率としてグラフを修正してみた。この程度の修正でも何か怪しい。客観的に眺めようとすればマネタリーベースも左側の軸と同じように%で調整しなければならないと思う。面倒なのでそこまで作らないが、そうすると、恐らく相関関係の強さに対する印象が変わってくると思う。マネタリーベースが1.7倍の範囲で変化するのに対し、ブレーク・イーブン・インフレ率はたかだか1.02倍の範囲で変化しかないからだ。
 ブレーク・イーブン・インフレ率とマネタリーベースは強い相関関係があると出演者が力説していたのか、いやそうではないと力説していたのか思い出せない。このグラフをみるだけでは何とも言えない。
 
意図は伝わってくるのだが左右の縦軸のスケールや意味も異なるため私には何やら怪しげなグラフに感じる。
マネタリベースの縦軸のスケールと意味を変えてグラフ化してみた。
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2478 13/8/26
(月)
地軸の傾き

 猛暑とゲリラ豪雨が心配で8月は自宅でくすぶり続ける日が多かった。先日久しぶりに新宿御苑を散策した。まずは大温室に入った。暑い! 汗が猛烈に噴出してくる。この汗の出具合で自分の体温調節機能がそこそこに働いているという自信を持つ。温室を出て散策する。日頃の運動不足解消!と意気込み約1万歩歩く。自然の中を一人で歩くのは好きだ。自分も自然を構成するひとつの要素に過ぎないと謙虚な気持ちにもなる。そう考えると「人生とは?」と哲学的瞑想に入ることもある。くだらなことも考えるのだが、殆どは忘れてしまう。
 久しぶりの新宿御苑だが、もう8月下旬、今まで華やかに咲き誇っていた花々も少なくなってきている。季節の変化を実感する。なぜ四季があるのか? 地球の自転軸が少し傾いているからだ。地球の場合約23.5度傾いている。四季の変化は北緯約35度に位置している東京では実に多彩だと思う。バランスが非常に良い。赤道では年中夏。北極や南極では冬と夏が極端に長い。動植物はこの四季を感じ取り毎年変化しているのだろうと思う。春夏に花を咲かせたり生殖する。宇宙に目を向けると地球型惑星は大変な数が存在するだろう。地球以外にも生命は存在するだろう。人間のような知的生命体が存在する確率はどうなのだろう。人間の進化と季節は少し関係がありそうな気がする。現在の人間程度にまで進化するためには、太陽のような恒星、恒星との程よい距離、有機物が生成できる環境、公転速度、自転速度、地軸の傾き、磁場による防御機構・・・、考えると条件はかなり厳しそうだ。地球と同じような環境の惑星ってもしかするととても少ないのかもしれないとも思う。と思いつつ地球の深海生物などを突然思い起こし考えを少し修正せざるを得なくなってしまった。以前から疑問に思っていたのだが生物の変化はなぜ進化の方向性なのだろうか? 退化ではなくて進化への方向付けは何なのだろうと思っていた。生物が進化するためには環境が定期的に変化する必要があるのかもしれない。それが四季に相当するのかもしれない。
 自分の人生の終了をある程度覚悟しなければならなくなった現在の自分、地球という素晴らしい環境、日本という素晴らしい国の国民として生きていけることの幸せを益々感じ取るようになってきた気がする。人生思い切り楽しまなければ!
 
新宿御苑大温室
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2477 13/8/11
(日)
シグナル(1)

 この世にはシグナルが満ち溢れている。宇宙からのパルサーやX線などのシグナル、動物の神経を経由するシグナル、ICチップを駆け巡る電気的シグナル、コミュニケーションで交わされるシグナル・・・等、宇宙システム、地球システム、社会システム、人体システム、自動制御機器などシステムにはシグナルが必ず存在するようだ。
 シグナルには電気的・手段的シグナル、身体的・代替言語的シグナル、前駆的・暗示的シグナル等に分類されているのもあるようだ。昔から自動制御や、コンピュータ・システムに関わる信号処理とは縁が深かったが、最近は人とのコミュニケーション上でのシグナルに関心が強くなってきた。
 尖閣問題のように国が発する声明に込められたシグナルのように直接には言えないが、何らかの意図が込められている声明は大人の会話では頻繁に使われる。親しい友人間でもシグナルが沢山含まれる。特に初対面の方とお話をする場合には実に多くのシグナルを含めて伝える。相手がそのシグナルに気づくかどうかなどの探りを入れて相手の人物像を推測しているのだ。親しい友人間の会話でもシグナルよく使われる。相手を傷つけないようにとかこちらの思いを込めて婉曲的に表現するのだ。相手がこちらのシグナルに気づかなくてもそれはそれでよい。また意図している内容と異なって受け止めてもらっても構わない。シグナルに気づくことが大切だと思う。いわゆる頭の良い方とお話しするとシグナルがよく伝わり会話も楽しくなる。こちらのシグナルを感じ取ることができず一方的に話ばかりする人との会話は疲れる。まずは同意はせずとも相手方の言っていることを理解することが大切だと思う。最近はコミュニケーション上でのシグナルに気づかない人が多くなってきたような気がする。多分、ネットの普及などで直接会話する機会が減ってきたのも原因だろうと思う。
 
 今日は東京都心でも38度を越える暑さだったそうだ。我が家の午後1時過ぎのベランダの外気温。100円ショップで購入した多分不正確であろう温度計が外気温40度を示していた。
 最近は暑すぎて外出できない。運動不足を感じている。
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2476 13/7/14
(日)
歩きスマホ

 私はスマホは所有していない。今の生活では移動体通信の手段は殆ど必要ないのだ。未だにガラパゴス携帯を使っている。最近原付バイクを購入したが、このときスマホのナビゲーション・システムが利用できたら便利だなとは思った。とにかくバイクでの遠出ができないのだ。下手に遠くまで走ると帰宅できなくなる恐怖がある。で、ナビだけのためにスマホを購入しようかとドコモ・ショップに出かけた。色々提案して下さるが料金体系がイマイチ分かりにくい。何かとても複雑で大企業らしからぬセコさを感じてしまうのだ。結局パンフレットを貰っただけで購入はしなかった。
 最近電車に乗ることが多い。乗客の3分の一はスマホを操作している感じだ。よくあんな小さな画面でチョコマカ操作するものだと思う。私からみればチョコマカ操作している姿は実にカッコが悪い。電車が目的の駅に到着。殆どのj通勤客が下車する。ドアーの近くでスマホを操作している若者が実に邪魔だ。乗り降りの流れがとても悪くなっている。忙しい通勤時間帯。もう少し周囲に気を遣えと思う。通勤客でごった返すホームや地下道、歩きスマホしている奴が実に邪魔だ。全体の流れよりも遅い。周囲は邪魔なやつとは思いつつも迂回して追い越す。正面から来る奴、画面に夢中になり正面衝突しそうになる。歩きスマホをしている奴はは周囲に迷惑をかけているという自覚がないのだと思う。階段を踏み外したり、何かにけつまづいて転んで欲しいとも思う。
 昔と比べ、最近は周囲に気配りできる人が少なくなったように思う。親しい仲間同士だとできても見知らぬ人たちとはできない。コミュニケーションもとても下手。本質的に物事を考える能力の低下・・・、など旧人類が憂える最近の人たちの行動に対する不満、幼少時からの教育問題も大きいが、携帯、インターネット、SNS、スマホなどネット環境も大きく影響していると思う。
 
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