晴美の独り言

索引

番  号 日  付 内    容  
2532 15/06/10
(水)
政治・報道の劣化

 テレビの選挙報道などで「よく分からない・・、もっと説明して欲しかった・・・」などの一般庶民の声が放映されていた。 具体的には先の大阪都構想とか安保法制問題などの報道だ。 一般庶民の声を無視してはいけないが、より本質を捉えた声をマスメディアは届けるべきと思う。 「もっと前に丁寧に説明して欲しかった」との声、都構想の場合、推進派はそれなりに大きな観点から分かりやすくかなり説明していたと思う。一般庶民は生活に直結した問題以外についてはいくら説明されてもまず本気で理解する気がないと思うし、説明を聞こうともしないのが殆どだと思う。 政治の舞台で反対派は枝葉末節の問題ばかりを強調し、本質的な議論を行おうとしない。 まず「反対」ありきで、推進派の説明を理解して審議に臨もうという姿勢が見えない。 有権者の利益をそっちのけにして政局に持ち込もうとしているように私には見える。 反対派は推進派が提唱する本質的な問題を理解しているのかもしれないが、意図的に枝葉末節な問題に矮小化し、反対に持ち込もうとする。 
 報道機関も情けない。 都構想や安保法制報道に関して大きな観点から、また本質を指摘するような報道はあまり行われていないようだ。 政治屋や報道関係者は「自分たちは本質的な問題点は十分理解した上で、このような局限化された問題を報道しているのだ」という思い込みがもしあるならば、大いなる勘違いだ。 国民をバカにしているとしか思えない。 
 一般庶民にも問題がある。本気で理解するつもりもないのに「もっと分かりやすく説明して欲しい〜」などと単なる願望を述べるだけだ。 本当に理解したいならば、自ら国会中継などの色々なメディアから情報を手に入れ、主体的に自分の考えを確立した上で批判して欲しいと思う。 
 小選挙区制に変わり、政治の劣化は目に余るほどになってきたように思う。真の政治家は減少し殆どは政治屋と化してしまった。 国益よりもまずは選挙に当選することが優先される政治屋の世界。 嘆かわしい。 昔某報道機関の政治部の記者とお話させたいただいたことがある。「見て見て、これ**総理との2ショット」と携帯の画面を自慢げに見せびらかす。 官邸での取材では、首脳からの「・・、ここからはオフレコで・・・」とか言われて、何となく自分たち記者は特別なな存在だと勘違いさせられてまんまと官邸に懐柔されてしまう。 取材情報も昔と比べ自ら歩いて得た情報は少なくなり、与えられた情報の殆ど垂れ流しというのが多くなった。 テレビのコメンテータも怪しい人物が多くなった。 無知な庶民を勘違いさせたり、騙しこむような発言も多々見られる。 自らの、あるいは報道機関のイデオロギーが最優先で発言している人物も多い。 中立・公正を保った品格ある発言をして欲しい。
 最近のテレビのニュース番組でアナウンサーが「・・・ということです」という言い方を多くの番組で聞くことが多い。 この表現にも何か違和感を私は抱いている。 「・・・・とうことです」いかにも主体性がなく垂れ流しの感じがするのだ。 昔はこのような何となく無責任と思わせるような表現は少なかったと思う。
 
ニューヨーク州 マンハッタン
9・11テロで今は存在しない貿易センタービル

1999年撮影
9・11テロ時はアメリカ・ワイオミング州を旅行中だった。
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2531 15/06/06
(土)
日本の実質支配者

 アフラック社医療保険の曖昧な約款記述をベースにした消費者を誤認誘導させる目的と疑われる不適切な募集資材についてもう2年間調査し続けている。 この不適切な募集方法によりアフラック社は1000億円前後の不当利益を得ており、今も誤認させられて契約した消費者は割高な保険料を払い続け、アフラック社は不当利益を上げ続けている。 ちなみに平成26年事業年度の年間の保険料収入に対する給付金支払い総額の比率は僅か38.3%で他社と比べかなり低い比率だ。 金融庁が利用を薦めている金融ADR制度を活用して生保協会の裁定審査会にアフラック社の違法行為(監督指針違反)について裁定をお願いしたが、申立内容を無視した不当裁定を下し、私の問題提起を葬り去るという暴挙に出た。 アフラック社、生保協会の法令違反の事実をこの1年以上、金融庁に報告し続けているが、未だに具体的な対応は私には見えない。 国会議員らにも相談したが、運用資産400兆円前後という生保業界、この天文学的な資産に群がる人物や組織も膨大で生保業界の影響力は絶大であろうと思われる。下手に政治家などに相談すると提起した問題そのものも闇に葬り去られる可能性が高いとのこと。 現在、この巨悪に立ち向かっていただけそうな人物や組織を検討中だ。 また生保業界について色々な角度から調査中だ。 政官産学の不透明な関係が浮かび上がってくる。 金融官僚とか審議会などの委員として委嘱されている金融関係で有識者と呼ばれる人々についても調べてみた。  高級官僚の退官後の行動についても調べてみた。 元金融庁長官の高木祥吉の略歴も極めて疑惑に満ちている。 すべてではないが高級官僚と呼ばれる人達、法に触れないぎりぎりの線で退官後の優雅な人生を得ている人が多いようだ。 金融関係の高級官僚の出身は今でこそ採用比率は少なくなって入るがかつては殆どが東京大学法学部出身者だ。 金融関係の審議会委員も東大法学部出身者が多い。 退官後の高級官僚で出身校の東京大学法学部の教官として再就職している人物も多い。 この現実を目の当たりにして、東京大学法学部は日本の中央官庁に多くの人材を送り出し、日本を実質支配し、経験を積ませて再び出身校に戻し、新たな人材を養成しているようにも思える。 東京大学法学部⇒中央省庁⇒東京大学法学部⇒ とクローズした世界を形成し日本を実質支配しているのではないかという小説まがいの構図が思い浮かんた。 
 かつては東大法学部出身者は日本の発展に大きく寄与してきたとは思うし、殆どの出身者は日本に貢献されてきたと思う。 最近の金融関係の官僚の行動を思うと生保業界に限っては「契約者保護」という美辞麗句をぶちあげてはいるものの未だ業界擁護姿勢が強すぎると思う。 金融庁所管の審議会で金融トラブル調整連絡協議会(金トラ協)というのがも48回も開催されている。 金融ADR制度を推進し、フォロー等も行っている協議会で、行政機関、消費者団体、業界関係者、弁護士、学識経験者等で構成されている審議会だ。 生保業界からここへ提出された資料や審議会での発言内容についても調べた。 生保業界代表からの虚偽とか誤認を誘うような資料や発言が余りにも多いのに驚かされる。 金融庁に何度も報告しているが具体的な対応は示されていない。 信憑性が疑われる生保業界提出資料や発言について、真に受け(真に受けたフリ)て審議を続けてきた金トラ協も情けない。 日本の金融システム全体に対する不信感を増大させる可能性があることも自覚していただきたい。 金融庁の審議会の中に金融ADR連絡会というのが存在する。 委員は金融庁職員と業界代表らしい。 議事録は非公開で審議内容は不明。 監督官庁と業界関係者との密室会合で極めて疑惑を生み出しやすい。 金トラ協にはこの会合の概要が報告されているようだが、金トラ協の議事録を読む限り、審議内容はよく分からない。 こんな疑惑を生みそうだと素人でも疑問に思うようなことが、金トラ協で金融庁からの形式的報告だけで素通りにされているのも怪しい。 
 このように調査していくと日本の金融システムの根本的な問題点が徐々に浮かび上がってくる。
 
散歩中に見かけた廃棄された大根。
野菜価格高騰の折、捨てるくらいなら頂戴と言いたい。勿体無い。
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2530 15/05/15
(金)
民族のDNA

 韓国時代ドラマ「階伯」全38話を見終えた。 かなり無理なストーリー展開とか「そんな、アホな〜・・・」というようなシーンも数多くあったが、それなりに面白かった。 韓国時代劇ではほぼお決まりのような王族や朝廷重臣たち、貴族などの権力争奪戦と復讐劇だ。 日本人では考えられないような無茶苦茶な陰謀や企みとか執念深い怨恨が描かれている。 「王様! 私を処罰して下さい、殺して下さい!」と叫ぶ朝廷の重臣。 王が罰することはないと見込んでのずる賢い口先だけの謝罪、本当に王に斬首刑を言い渡して欲しいところだ。 そのときの謝罪した重臣の表情を見てみたい。 まぁ、これでもか、これでもかという暗殺や殺害を伴うかなり無理なストーリー展開だ。 時代背景は600年代、日本では奈良時代、中国では唐の時代あたりだろう。 当時は高句麗、百済、新羅と3つの国家として互いに争い、かつ唐や日本に挟まれ半島国家としてのそれなりの国家としての対応をしていた。 とても複雑でかつ唐と日本を巧みに利用して自国を優位に立てようとする策略が巡らされる。 
 この陰謀、怨恨などが現代韓国人のDNAに刻み込まれているのではないかと思ってしまう。 韓国、中国による歴史認識問題に対する日本に対する執拗さ、非論理的非難を思うと、韓国の場合は、この刻み込まれたDNAがかなり影響しているのではないかと疑ってしまう。 韓国に対しては半島国家としての悲哀も共感できるところもあるが、ここまで執拗な韓国の対日非難を思うともう同情すらできなくなってしまう。 もっと国際的にも国内的にも辛い目にあって目覚めて欲しいと思う。 
 長年にわたり刻み込まれた民族のDNA、日本人も例外ではないと思う。 日本人の民族的な劣等箇所は、「日本人は自ら考えることを放棄している」ように私には見える。 これは江戸時代の頃から「お代官様の判断に従います」など他者依存精神とか諦観的従順性が日本民族のDNAに刷り込まれているのではないかと思ってしまう。 現代日本人は「そんなことはない、ちゃんと自ら考えている」と反論する人も多いと思うが、殆どは勘違いのように思う。 聞きかじりの情報を元に主体的に行動していると勘違いしている人が余りにも多いと思う。  かように民族のDNAというか民族性というか、よく分からないが、長年にわたり培われてきた民族性について考えてみるのも面白い。
乗鞍岳山頂からの眺望
2001/8/5撮影
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2529 15/04/26
(日)
官僚の天下り実態の監視

 この2年近くアフラック社の医療保険の曖昧な約款記述を巡って悩まされ続けてきた。 アフラック社が私からの異議に誠実に対応してくれていたらこんなに大袈裟な調査を行うこともなかったと思う。 アフラック社の不誠実な対応に対して金融庁が契約者に利用を勧めている金融ADR制度のもと生保協会の裁定審査会にアフラック社との紛争問題について審理をお願いしたが、これまた中立・公正であるべき審査会がとんでもない業界擁護組織であることを審査会の不当裁定で思い知らされた。 このアフラック社および生保協会の金融ADR制度を軽視した不適切な対応を金融庁に何度も訴え続けてきた。 金融庁の対応振りはよくわからない。生保協会の裁定審査会やアフラック社の現在までの不誠実な対応振りや、金融庁の過去の業界との不適切な関係を思い起こすと金融庁も業界寄りの姿勢を今でもとり続けているのではないかという疑念が生じてきた。 無理もない、生保業界の運用資産は400兆円前後という恐らく世界最大の資金量を誇る。 これに群がる人物や組織が多数存在することは容易に想像できる。 金融庁の官僚も同じだ。 天下り先の確保など、表向き「契約者保護」とか言っているが本音では自己利益に走っているのではないかと疑いだした。 官僚の自己利益とは、官職中は露骨には得られないが、退官後の優雅な生活保障だ。 いわゆる法に触れない程度の巧妙な天下りだ。 優雅な天下り生活を得るために公職中から天下り先との良好な関係を作っておく必要もあろう。 現在金融庁幹部(恐らく課長級以上)の人物の異動歴、職歴、退職後の再就職先、再就職先での業績などを調べている。 この10年程の調査だが、綿密に調査すれば金融関係の官僚と金融界の不適切と思われるような癒着関係が浮かび上がるのではないかと期待している。 いずれ判明した事実を公開し、更に詳しい情報を社会から得るつもりだ。 現在は情報化が進展しており、不適切な行為などは隠し通せるものではない。 高級官僚はとにかく悪知恵には長けている。 一般国民はこのような自己利益を最優先するような官僚を少しでも少なくするために公職中も含め職務内容、退官後も含めた異動歴などを監視すべきと思う。
  
上海 大変活気に満ちた大都市だった。
2009年11月撮影
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2528 15/04/24
(金)
私の未来予測−宇宙開発

 人類初の人工衛星が打ち上げられたのは1957年だ。 旧ソ連により打ち上げられた。 1961年ソ連のガガーリンが人類初の地球大気圏外の宇宙飛行。1969年にはアメリカのアームストロング等が人類初の月面着陸を行った。 しばらくアポロ計画は続行されたが、ここ最近は月や惑星への人類到達は行われていない。むしろ国際宇宙ステーションでの宇宙空間での実用的な研究開発が多いようである。 2030年代には火星に人類を到達させようとする計画もアメリカで進行中だ。 無人探査機での惑星探査も継続的に行われている。 ボイジャーは既に太陽系の冥王星の軌道を越えたところまで到達している。 ボイジャー、ガリレオなど木星や土星探査で大きな成果を上げ、地球以外の土星などの衛星に生物が存在している可能性すら見え初めている。 人類の宇宙開発においてもその開発速度の凄まじさには驚かされる。
 2030年代に人類が火星に到達した以降は本格的に地球外天体の開発機運が生じてくるであろうと思う。まずは月面開発から行われると予想している。 地球外惑星への宇宙飛行の基地として整備されるのではないかと思う。 月面基地を整備するためには地球から膨大な重さの資材を月に運ばなければならない。 今のようなロケットによる運搬ではコスト的に極めて難しい。 2050年代頃までには宇宙エレベーターが作られ安価に地球から宇宙へ物資を運ぶことができるようになっているだろう。 今の科学技術の進歩を考えれば2020年代には地球大気圏外への観光旅行、2040年代には月への観光旅行がビジネスとして成立しているだろう。月面が十分開発されたならば近くへの惑星への往復もより実施しやすくなる。 人類が火星に到達した以降は火星を地球並みの環境にするためのテラフォーミングも本格的に開始されるだろう。 100年程度で火星を地球並みの環境に変え、人類は宇宙服なしで地球と同じような生活環境にできるらしい。 科学技術の進歩は凄まじい。 2100年代前半からは大規模な火星移住が始まると予想している。 この頃は核融合が実用化され極めてクリーンで低コストの莫大なエネルギーを人類は制御できるようになっていると思う。 莫大なエネルギーを制御できるようになった人類は、金星、木星の衛星など太陽系内の天体をテラフォーミングして人類が生活できる環境に変えていくだろう。 2100年代後半には恒星間宇宙飛行も行われているだろう。2100年代後半には人類の宇宙に対する理解もより深まり、光の速度を超える宇宙航法も実用化されているかもしれない。 そうなると人類は太陽系外へ移住を開始する。 映画「スタートレック」の時代背景は2300年〜2400年頃だったと記憶しているが、ほぼ同じ頃にスタートレックで描かれた世界が実現しているかもしれない。
 地球外生命体との遭遇。 人類と同程度の理性と知恵を有する生命体と遭遇する可能性はかなり低いと思う。 しかしながら人類のあくなき探究心で行動範囲も広がると2500年代頃には遭遇するかもしれない。相手がどのようなものかわからないが、もしかしてスタートレックのような対立関係ができてしまうのかもしれない。  
 
フロリダ州 ケネディ・スペース・センター
2001/11撮影
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2527 15/04/23
(木)
私の未来予測−監視社会

 マイナンバー制度が施行されても私には不利益はないと思う。 マイナンバー制度に反対している人達は、プライバシー侵害など表向きには懸念などと反対するが、本音では自分の所得隠しが行いにくくなり、従来のように節税/脱税が行いにくくなることで反対しているのであろうと想像している。
 私のような貧乏人はマイナンバー制度をの適用範囲を広げて更に便利で安全かつ公平な社会を実現していただきたく思う。 マイナンバーは納税のみならず医療、金融取引、健康管理・・・等、利用すれば格段に利便性がよくなると思う。 拡大するとプライバシーに係わる情報も膨大となり、それを悪用する輩も出現するであろうことは予想できる。 ベネッセでの個人情報流出問題等が発生せぬよう、システム的にも制度的にも整備する必要があると思う。 絶対流出しないようにするというのは不可能と思う。 安全神話と同様に「絶対」なんて目標を掲げると、世の中は進歩しない。 何でも反対派の左翼思想の持ち主がのさばる活気のない、退屈な希望の持てぬ社会になってしまうのではないかと思う。 「とにかくやってみなはれ」の精神が必要だ。
 マイナンバー制度導入と情報処理の高度化でより透明性が高く、公平かつ安全な社会を実現できる可能性が高いと思う。昔、新宿歌舞伎町の監視カメラ設置について述べたことがある。 当時プライバシー侵害の危険性といって設置反対論も多かったが、現在ではそのような声はかなり少なくなっていると思う。 全国に色々な監視カメラが設置され犯罪者逮捕などに役立っている。 監視カメラのおかげで無茶苦茶頭の悪い悪人は除いて悪事が行いにくくなっている。 プライバシー侵害などの監視カメラを悪用した事件も私は聞いた事がない。 科学技術の進歩は加速度的だ。 監視カメラ等もより広範囲に膨大な数が設置され精細にかつ長時間データを保存できるようになる。 将来ネットで結ばれ犯罪者が逃亡しても顔認識技術などの高精度化もあり、逃げ切れなくなるだろう。 人工知能が犯罪者を精緻に追跡し最適な検挙者たちに対して指示を出すのだ。 私個人が監視され記録されても一向に困るとは思わない。 膨大なデータを私のような個人に対して悪意をもって利用するとは考えにくい。 利用したとしても時間の無駄だ。 しかしながら利用されて私が何らかの被害を被ったときの保障対策も行っておく必要はあろう。
 究極的には人間誕生時に体内にチップを埋め込み、超巨大な人工知能が管理するような社会になっているのではなかろうか? 2100年以降はこの世の頂点に君臨するのは人間か人工知能か私にはよくわからない。人工知能に支配される可能性は高いとは思うがそうはさせないのが人間の英知だ。 
 
浅草 東京スカイツリーとビール会社ビル(ウンコタワーとも呼ばれているらしい)
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2526 15/04/10
(金)
私の未来予測−医療分野

 医療技術の進歩も凄まじい。 ワトソンらがDNAを発見してからまだ50年前後しか経たないのに、今や多くの動植物のDNAが解析されて品種改良や、医療技術に応用されている。 DNAの複製過程も解明され、昨今はマイクロRNAレベルの応用にまで発展しつつある。 国立癌センターは血液中のマイクロRNAを調べ多くの種類の癌を短時間、低コストで発見する技術を10年以内に実用化する予定と記憶している(入院中に執筆しており、病棟内ではインターネットで調べることができないので正確な年代とか数値は記憶に頼りおおよその値しか示すことができません)。 
 一昔前までは癌宣告されたら死刑宣告のようなもので癌は不治の病と思われていたが、今や癌は治る病気という認識が広がりつつある。 癌の進行度合いにもよるが、膵臓がんなど横綱級の難しい癌以外は早期発見すれば(ステージ2以下、癌の進行度合いは一般には1〜4まであり4が一番重い末期症状)治癒する病気となっている。 治療薬の進歩も目覚しい。 分子標的薬と呼ばれる治療薬が昨今の流行だ。 癌細胞が放出する独自の物質に治療薬が集まり癌細胞をより効率的に攻撃するのだ。。 治療薬は正常な細胞に対しても未だに作用し各種副作用を引き起こすが、以前よりはかなり副作用は軽減され癌細胞に対する攻撃能力が高まったようだ。 将来はもっと効率よく癌細胞に集中攻撃できるような薬が開発されるだろう。 体外から3次元的に治療薬を制御し、目標とする癌細胞に正確かつ集中的に打撃を与えるシステムも開発されるかもしれない。 これは映画「ミクロの決死圏」のように人間が小さくなるわけではないが、あたかもミクロの決死圏の乗り物のようになるかもしれない。 現在は直径1cm前後だが消化器系の検査用のカプセル型内視鏡も実用化されている。 癌は2050年代には恐れる病気ではなくなっていると思う。
 IPS細胞も更に発展し2040年代には簡単な臓器の再生、2100年代には殆どの臓器の再生ができるようになっているのではないかと思う。 スタートレックのドクター・マッコイのような診療スタイルがスタートレックの年代よりも早く実現すると予想している。 ウイルス対策は2100年代でもまだ続いていると思う。 人間以外の動植物から発生、進化するウイルスとのいたちごっこは続いていると思う。 
 細胞についてのより深い理解も深まり、2100年代には原理的には不老不死も可能になっているかもしれないが、倫理観の問題もあり、一般には不老不死を万人には認めていないと思う。 闇世界では実現しているかもしれない。
 スーパーヒューマノイド。 現在でも人間の能力をアシストする装置が開発されているが、当面は機械的な装置、2100年代には生物学的な肉体改造でスーパーヒュマノイドが実現するかもしれない。ただし人間の寿命のコントロール、肉体的改造は本当に人類を幸せにするのか疑問も沸き起こる。 この倫理観については今の私では意見を述べられない。
 
病院裏手 建物3階ガラス張りの部分は手術室がずらりと並ぶ。2011年、2013年ここで全身麻酔手術を受診した。
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2525 15/04/09
(木)
私の未来予測−エネルギー

 エネルギーは人類にとって、いや地球にとって、宇宙全体にとって極めて重要だ。 宇宙を含め私の前に広がるこの世の中は空間、エネルギー、物質、時間、自我から構成されているといって考えている。 人類のこれまでの戦争の歴史はつきつめればエネルギー源獲得競争と言ってもよいと思う。 
 今の日本は全ての原発が稼動停止し、エネルギー・コストはかなり割高になっている。 東日本大震災前のコストに比べ、家庭用では2割、産業用では3割割高になっていると言われている。 太陽光や風力発電による電気供給量が増えれば更にエネルギー・コストは上昇する。 
 エネルギーが安価に使えたならば我々の生活は更に快適になり、人生をより有意義に過ごせる時間も増え、エネルギー争奪に係わる紛争も少なくなると思う。 
 2100年代はほぼ確実に原子力発電所は稼動していないと予想している。 
 核融合発電は究極のエネルギー源と言われている。 原料は水(3重水素)で地球上には大量に存在し、原料費もほぼ無料だ。 最近余り話題にされていないようだが、2100年代は核融合発電がエネルギー源として大半を占めるようになっていると予想している。 21世紀初頭の計画では核融合発電は2050年頃に実証炉が実現され、2060年頃には商用炉が稼動しはじめている計画だったように記憶している。 核融合は核分裂と混同され危険視されているきらいがある。 これは水素爆弾が超高圧、高温の世界を作るために起爆剤として原子爆弾が使われ放射能を大量にまき散らかすために誤解されているのだと思う。 核融合はクリーンなエネルギー源なのだ。 エネルギー・コストが殆ど無料になれば世界は現在よりもはるかに豊かで平和な世界へと変貌すると思う。 農産品は天候に左右されない植物工場で安定的に生産される。 工業製品は勿論、移動にかかる経費もエネルギーコストがかからないので安くなる。 現在の科学技術の加速度的な進化を考えると2200年代には水素をベースとした核融合以上のエネルギー源が活用されているかもしれない。 映画スタートレックに出てくるような水素による核融合以上に効率の良いエネルギー源が出現するかもしれない。 超新星爆発、ダークマター、ダークエネルギーやブラックホールについての理解がより深まり核融合よりも遥かに効率の良いエネルギー源が実用化されているかもしれない。 2500年代には実現しているのではないかと予想している。 それまでには人類は自らの科学技術により滅亡しているか「神」に変貌しているかもしれない。
ハワイ セスナ機操縦 オアフ国際空港
オアフ島飛行学校で操縦体験、オアフ国際空港の滑走路の1本を占有し離着陸できることに大感激。 操縦免許取得に必要な飛行経験のうち3時間分が私の操縦履歴に加えられている。
2002年11月撮影
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2524 15/04/08
(水)
私の未来予測−人工知能

 コンピュータの進化も驚異的だ。 現在の2進数をベースとしたコンピュータの基本原理を機械的に実現したのは戦前のチューリング機械だと記憶している。 初めての商用コンピュータは戦後間もないENIACと呼ばれる真空管式の計算機だ。当時の砲弾の弾道計算に用いられたらしい。 価格は現在の価格に換算して10億円以上もしていたと思われるが計算能力は現在100円ショップで販売されている電卓よりも遥かに劣る。 計算させるプログラム入力も配線し直すなど大変面倒だったらしい。 銀行などのオンライン勘定系システムが稼動し始めた頃にはコンピュータはより速く使いやすいものになった。 1970年代、当時では最強と言われた超大型コンピュータの1秒辺りの計算能力は100万回程度だったと記憶している。 この能力は現在のパソコンよりも劣る。 現在のスーパーコンピューターの計算能力は「京」のオーダーだ。 現在のテクノロジーの延長ではこれまでのような飛躍的な能力向上は望めないと思われるが、量子コンピュータのような革新技術が普及すれば更に飛躍的な能力向上が図られるのではないかと思う。
 ソフトウエアの進化も凄まじい。 チェスでの人間とコンピュータの対戦、コンピュータが人間を凌駕するようになったのはかなり前、最近では将棋の世界でもコンピュータの方が優勢らしい。 いずれ囲碁の世界もコンピュータが王者になると思われる。 ゲームだけではない。 ソフトウエア開発技術の進歩により膨大な数のソフトウエアが作られている。 スーパーコンピュータからスマホや車、家電など我々が目にするもの殆どにコンピュータとソフトウエアが存在する。 ただ、昔と比べ個々のソフトウエアの品質は余り向上しているようには私には思えない。 録画機やゲーム・ソフトなどバグだらけだ。 また使い勝手も良くない。 膨大な開発量に追いまくられて利用者不在の開発も多々行われているのではないかと思う。 
 ビッグデータの活用も本格化してきた。 検索エンジンへの入力された検索語を分析することにより社会科学的な行動分析も可能になっているようだ。 この解析技術と人工知能が結びつけばいずれは人類の知的活動能力の殆どの分野にてコンピュータが上回ることになるだろう。 更にはコンピュータが感情や芸術創作能力すら持つ可能性も十分ある。
 コンピュータ技術の発達で懸念されるのは人工知能(AI)の発達だ。 AIは自ら学習し、色々な能力を高める。 記憶力や記憶の正確さ、計算能力はもはやコンピュータは人間の能力を遥かに超えてしまった。 映画「2001年宇宙の旅」のよコンピュータ・ハルのように人類に牙をむき出す可能性が懸念される。 今年はAI搭載のロボットも販売される。 購入者はAIロボットを育て上げることができる。 このAI利用技術が犯罪に用いられる可能性も否定できない。 危険な人物や組織が容易にAIを操作すればAIは暴走しかねない。 現在のPCソフトが外部からの攻撃にに対する脆弱性を持ったまま大量に世に出回り、ネット犯罪が後を絶たない。 AIに関する基幹ソフトでは、AIの暴走対策や、犯罪に利用されることを防ぐよう十分に対策を練っていて欲しい。 2100年代は人間とコンピュータの覇権争いが現実化しているかもしれない。
ハワイ マウイ島 ハレアカラ国立公園
2001年1月撮影
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2523 15/04/07
(火)
SNS考

 私がインターネットに係わり始めたのは確か1990年代だったと思う。 当時私はコンピューターメーカーのシステム・アナリスト/プランナー/デザイナー等として主に汎用コンピューターの情報処理技術者だった。 インターネットが普及しはじめる黎明期頃から利用し始めていた。 インターネットには開発者の立場ではなく利用者の立場から使っていた。 インターネットの「情報の宝」という有益性と同時に「匿名性」という危険性を当初から認識していた。
 会社を辞めインターネットも活用しつつスナック経営を行った。 インターネットを大々的に利用して営業促進を図ったのも日本ではかなり早い方だったと思う。 おかげで当初はお店は大繁盛となった。 お店を開店するに当たりパソコンを業務に利用していたのも当時はかなり先進的だったと思う。 この業務用PCには顧客管理はは勿論、会計管理、勤務管理、さらには顧客出会い系システムまで備えていた。 全部自作ソフトだ。顧客出会い系システムは現在のSNSの走りみたいなものだ。 このシステムは失敗だったと思う。 システム分析が不十分でデーター入力が多くとても面倒、当時では必要性が十分に理解されない先進的なシステムであったこと、必要な機能を満たすにはPCの能力が低すぎたのが原因だったと考えている。
 当時は一般の掲示板とかメールもふんだんに活用させてもらった。 ホームページは毎日更新していた。 掲示板ではいわゆる「炎上」も経験させられた。 これも日本ではかなり早い経験だったと思う。 メールの対応も大変だった。 匿名性故、余りにも相手の気持ちを無視したメールが多かった。 問い合わせに対してこちらが回答するとすぐに次の質問がくる。 きりがない。当初は回答しなければという強迫観念が生じていたと思う。 今で言うとSNS依存症の走りだ。 ネットを介して多くの見えない匿名の人々と交流したが、結局、匿名性や文章のみの付き合いで相手方を十分信用できない、また交流する会話内容も当たり障りのない内容の薄いものが多く、また嘘も多い。 とこのような経験を通して今は私はSNSとは一切係わらないようにしている。 また未だに私はスマホは所有していない。ガラケーのままだ。 これには理由がある。 通信キャリアーの料金体系がとても理解困難、現在の生活環境からして移動体通信の必要性は少ない、小さな画面は健康上よろしくない、小さなキーボードよりも伝統的なJISキーボードの方がはるかに使いやすい。
 とまぁ、20年前と比べると情報化の発展は目を見張るものだが、ネットを介して流れる情報や公開されている情報は信用度に関しては新聞、テレビに比して相対的に低い。 ネットからは多くの情報を取捨選択できるが、得た情報をどのように活用するかは自己責任である。 ネットだけで世の中の情報を得ている人も多いと思うが大変危険だと思う。 ネットでは欲しい情報を閲覧者の意思で選択し得ることができる。 概して自分に都合の良い情報しか集めなくなり偏った考えに陥る危険性も大きいと思う。
 なぜ、こうもSNSが流行るのかな〜、疑問に思う。 SNSの魅力とは? 「いいね」の数が楽しみ、フォロワーの数が増える、共通の価値観を有している(と錯覚している)仲間との連帯意識が生まれる、孤独は厭で何らかのグループに帰属していたい・・・と勝手に理由はいろいろと想像できるが、私には全く興味ない。 
志賀高原 東館山オリンピックコース
体調が回復してももうこのコースは滑れないだろうな〜と思う。
 はやくスキーが楽しめるようになりたい。 これからは斜度25度以下の幅広のコースを大きなパラレルでゆっくりと滑り楽しむことになるのではと夢見ている。
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2522 15/04/06
(月)
私の車運転哲学

 私はドライバーとしては現在では超優秀だと思う。 今でもゲームではあるがサーキットをぶっ飛ばし、ブレーキなどの反応速度はレーサー並みだと思う。昔免停講習時、シミュレーターでボール飛び出し時にブレーキを踏む反応速度がプロドライバーの半分と判定され、自信過剰にならないようにと釘を刺されたことがある。 また私は海外ドライブの経験も豊富だ。 恐らく海外ドライブでは15万km前後は走行していると思う。 国内は全都道府県を走り回った。 横転事故、スリップ事故、雨の高速道路でのスピン事故、多重衝突事故など多くの事故や事故回避を経験している。 この経験が今の安全運転に繋がっていると思う。 私は今もスピード狂だが、最高速度には私なりの哲学がある。自分の見えている範囲内で停車できる速度が私の最高速度だ。 ヨーロッパでは時速200km超も経験した。 運転していたのはオペルのディーゼル乗用車だったが、残念ながらこの車の性能限界までだ。高速道路の一番内側を走行していたのだが、200km超でも後方からベンツやポルシェにヘッドライトを点滅させながらパッシングを頻繁にされてしまう。 また見通しの悪い住宅街では他の車よりも多分遅く走っていると思う。見通しの悪い交差点からの突然の飛び出しなどに備えるためだ。 このように徐行しているときに下手糞ドライバーに煽られるのは腹がたつ。 こういう場合は車列の先頭にはならないことだ。 チャンスを見て後続のアホ車を先に行かせる。 万が一飛び出しにでも遭遇したら多分前のアホ車が加害者になる確率が高い。 勿論、このような事故に備え、前のアホ車との車間距離についても注意を払わなければならない。 アホ車より更に先を見ていなければならない。 前の車が見通しの悪い大型車やトラックなどの場合、アホ車の可能性は低いようだ。 まっ、素人ドライバーは頭が悪すぎる。 目先しか見ていないのではと思う。 何個か先の信号までよく観察しまた周囲のドライバーなども観察し効率よく安全にかつ歩行者も含め周囲に思いやりある運転を心がけていただきたいと思う。
 
米国 ニューメキシコ州 ミサイル博物館
2001年撮影
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2521 15/04/05
(日)
カラオケ

 私はカラオケは苦手だ。好きでない。 音楽は強いて分類すればクラシックとポピュラー、その他に分類できると思う。私はクラシック派だ。 流行歌等のポピュラー系の音楽から心の奥底からの感動を覚えることは殆ど無く、覚える気も無く全く無関心だ。 スナック経営時代、よくお客様に請われて下手ながらカラオケも歌ったが、とにかく知らない曲ばかりで、知っているとしても「さび」の部分程度で、歌いだしや、延ばしが全く分からない。歌詞の字幕で出だしを推測し、色の変化で何拍かを探りながら歌う。 音程はクラシック系の音楽の勉強をすれば、曲の流れからある程度は推測できる。半ば作曲しながら歌っているようなものだ。 というわけでカラオケを歌うとリズム感極めて悪し、音程が外れることが多く極めて下手という他人からの評価が下ってしまう。 しかしながら人がメロディーを歌っている最中にハーモーにを付して歌うのは多分得意な方だと思う。 多分クラシック系である程度の和音感覚が身についているからだろうと思っている。
 少し歌えるようにと楽譜を探し、楽譜を見ながらカラオケを歌って練習したこともある。 これが難しい。 楽譜の高さとカラオケの高さが異なるのだ。 カラオケ側の高さを楽譜と一致させるように調整できない。 ある程度楽譜の高さに近づいてきたところで移調しながら歌う。 私は移調しながら歌うのは苦手だ。 ほぼ楽譜記載通りの高さでなければ歌えない。 ある程度覚えている曲を移調しながら歌い楽譜に目をやると、楽譜上示されている高さとカラオケの高さの違いに違和感を覚え歌えなくなってしまう。
 私は絶対音感を持っているわけではないが、ほぼ楽譜通りの高さで歌うことができる。 そのように訓練してきたつもりだ。
 音楽の力とかよく言われるが、私は音楽にそんなに力があるとは思わない。 特にロックや流行歌、本当にその音楽自体に聴衆などの心を揺り動かすような力が秘められているとは思わない。強烈な音響やリズム、ファンの群集心理、など別要素の力で聴衆が勝手に音楽に感動していると勘違いしているだけのようにも思える。何だかカルト教団の怪しげな儀式を連想させられる。 その点、クラシック系の音楽は音楽そのものから心を動かしてくれる。 勇気付けられたいときには***の曲、とにかく感動を得たいときは***の曲と決められている人も多いことだろう。 演奏会場の響き等にもよるであろうが、クラシック系は演奏される曲の中身だけで評価される。 演奏者が誰であろうと関係ない。 でも日本の場合、演奏の中身より演奏者で評価している光景もときたま見られる。 とてもつまらない演奏なのに何度もアンコールを要求する聴衆などはその典型例だろう。
 
栃木県 鬼怒川温泉
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2520 15/04/04
(土)
自然科学と社会科学

 昔から国語はどうも苦手だった。そのためか社会科学よりも自然科学の方が私には馴染みやすい。いわゆる理科系人間なのだ。そこそこの数学的素養を身につけてニュートン力学を学ぶと、そのシンプルで一貫性のある理論には驚いた。微積分の手法を見につけると私達の身の回りで起こる諸事象は殆ど予測可能に思えた。誰しもが納得できる普遍性ある理論と思えた。私達の身の回りから宇宙を眺めたとき、ニュートン力学の問題点に考え及ぶ能力は私にはなかった。ケプラーの法則等、惑星の公転運動についてもニュートン力学で完璧に説明できると思っていた。アインシュタインはニュートン力学による極限状態の問題認識を有し宇宙的規模において空間、時間、重力について深く考察し相対性理論を導き出した。実にシンプルでエレガントだ。自然科学の論理的構成や理論展開については驚き、自然科学系の世に認められている理論についてはほぼ全面的に私は信用している。ほぼ全面的というのは世の中にはまず「絶対」ということはありえないからだ。 三角形の内角の和は180度というのはユークリッド空間では公理だろうが、時空間では真ではない。 また光の速度は一定という常識のようなことも最近では宇宙創生時のビッグバン以前を説明するインフレーション理論では怪しくなる。
 それにひきかえ社会科学については全面的に信用することは私にはできない。社会科学系の論文などには私には言葉の遊び程度にしか思えないように感ずるものも多々ある。これは私の読解力の低さも原因しているのだろうが、どうも社会科学の論文やエッセー等を読むと眉唾に思えてくる。人文科学は分野が広いが、特に社会科学などは厳密な理論展開が少ないように思える。論理展開なども色々な反証が出てくるのではないかと思う。これは研究の方法論の違いがあり、そこでこのような差が出るのではないかとも思っている。 一般に自然科学分野では事実を元に体系化し論理展開する。 いわば帰納法的アプローチだ。 それに対し社会科学系は概して事実を基にして論理展開しているようには私には思えない。 演繹法的アプローチのように思える。 それゆえ進歩的文化人とか称するような社会科学分野の人物の言い草はまずイデオロギーありで、それから大衆を騙しこんでいるかのような論理展開を図っているような印象を私は受ける。
 
ミシガン州 ピクチュアードロックス湖畔公園
高さ100m以上あろうかと思われる壮大な砂の半島だ。
2003年撮影
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2519 15/04/03
(金)
自由の尊さ

 中学1年生の時、校内の弁論大会に出場させられたことがる。演目「自由の尊さ」という中学1年生にしてはとてもカッコ良かったタイトルだったと記憶している。どのような内容を話したのかは全く思い出せないが、「自由の尊さ」というタイトル、担任の教師に迫力不足ということで「これでよいのか!」というようなタイトルに変更させられた。「自由の尊さ」というタイトル、自分では相当気に入っていたのだが、担任に強制的に変更させられ少し厭な思い出として残っている。
 内容は全く覚えていないが、中学1年生という多感で純粋な気持ちで原稿を作成したことだろうと思う。このときの経験が私自身の人生観に少しは影響していたのだろうと思う。私の人生を振り返れば、束縛されるのが苦手でいつも自由奔放に振る舞っていたと思う。人や社会等周囲に悪影響を及ぼさない範囲で、既成概念や他人の自分に対する評価など殆ど気にすることなく自由に物事を考え、行動してきたと思う。自由を存分に享受するためにはそれなりに自己責任という概念も重要になってくる。
 私にとって「自由」というのはとても重要だ。この「自由」、自分自身が世間から注目されるようになるとかなり制限されてくると思う。発言や行動は慎重にならざるを得ない。幸い私は今のところ全く世間からは見放されたような存在、「自由」を思う存分満喫できる立場なのだ。
 
ソウル市内にて 2012年6月撮影
そういえば韓国旅行記全く作成していなかった。写真はかなり残っているが旅行の記憶はもうかなり薄れてしまった。
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2518 15/04/02
(木)
人生最後の5年間

少し前、癌闘病中の患者および支援者の方々の集会に参加させていただいた。NHKテレビでも紹介された「がん哲学外来カフェ」という社団法人が運営する集会だ。 この集まりの提唱者である某医科大学の教授も参加されたていた。 教授は長年死体の検視などの研究をなさってきたらしい。 多くの人達が人生を「この世に生を受けてからの自分の将来」として考えるのに対し、教授は「誰しも避けられない死という終わりを終点から現在生きている自分の残された人生をいかに人間としての尊厳を保ち生きていくか」という考え方のようだ。
 2011年に肺癌手術を受けた前後からほぼ1年間はかなり真面目に自分の「死」とか「人生」、「自我」などについて考えてきた。それまでは自分の「死」について考えることすら恐ろしくてできなかった。 「自我」とは何だろうか? デカルトの「我思う、故に我あり」の自分なりの解釈の仕方では、もしかして自分の前の現実は私の精神が勝手に作り出した虚像であり、この世はすべて私のために存在しているのではと思うこともある。 まだ十分には受容できないが、恐らく将来確実に起こるであろう自分の「死」を受容するための理由付けをしたくてたまらないのだ。 ある程度受容できるようになり、自分の「死」という終着点から逆算してこれからの人生を如何に有意義に過ごしていくかということを真剣に考えているときに、この集会を知った。 提唱者の教授の考え方と極めて一致していたと思う。 教授は「人生最後の5年間」を如何に人間らしく生き抜くかということを強調されていたと思う。同感だ。残された時間は5年と仮定してより充実した人生を過ごすことが人間としての義務であろうかとも思う。 無事5年間生き抜けたときにはそこからまた先の5年間の自分の人生を大事に生き抜けばよいのだ。 これを繰り返すことで、あわよくば人間の生物学的寿命限界と言われる120歳位まで人生を楽しめるのではないかと期待している。
新宿御苑も今は桜満開なのだろうと思う。
2012年4月撮影
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2517 15/04/01
(水)
勘違い商法

 「契約数No1」と言っているならば多分多くの契約者から支持されるほど優れた商品なのだろうとか、「100億個の乳酸菌を腸に送り込める」の宣伝文句に「100億個も送り込むとはすごい!」と勝手に思い込み良い商品だと勘違いしてしまう消費者も多いと思う。 世の中消費者の勘違いに期待して広告している商品が溢れている。 スナックを経営していたとき金儲けの極意を悟った。 エロ商売と、頭の悪い客をおだてあげ勘違いさせることだ。 私はこの商法には馴染めなかったが、自分の人生哲学を押し留め、自分を殺して勘違い商法を実践していたならば大儲けできたのではないかと思う。エロ系商売は犯罪すれすれになり少し危険な気がするが・・・。 消費者に勝手に勘違いさせるような広告は世の中には溢れていると思う。 大衆相手の企業の場合特に多いと思う。 大企業が消費者の勘違いを期待するような宣伝活動を行うと、私としてはとても下品に思える。 かえってその企業とは取引したくなくなる。 乳酸菌のように宣伝に恐らく虚偽が含まれておらず、消費者が勝手に勘違いをしてしまうような宣伝はまだ許容範囲だと思う。 某保険会社の広告はテレビ広告では単に勘違いさせるだけの許容範囲内の広告と思えるが、そのテレビCMに着目してインターネットなどで調べると意図的に更に勘違いを確信に変えてしまうような宣伝媒体については問題だと思う。 私はいまだにその保険会社と争っているつもりだが、元々は約款条文が曖昧であることが根本原因であり、宣伝媒体が曖昧約款条文に契約者や消費者を誤認誘導させているのが問題なのだ。 今のところ金融庁は過去の不祥事や人事を考慮すると余り期待できない。 民法が改正され約款に関するルールも定められたが、まだ、曖昧な約款記述については十分に検討され法律に反映されているとは言いがたい。 巨額運用資金をもつ保険業界、各界への影響力は絶大と推測されるが、徐々に社会的不条理に対して社会が厳しい目をむける傾向が強くなることを願っている。
 
尾瀬国立公園 2012年撮影

2011年の右肺下葉切除手術から1年後知人とハイキングした。 平坦路では知人とほぼ同じように歩けるが上り坂になると体力的に知人とは圧倒的に劣っていることを実感した。しかしながら、このハイキング経験で体力的にも少しは自信がついた。
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2516 15/03/31
(火)
車間距離

 原付バイクを運転しているときときたま私を煽って車間距離を極端に詰めてくる下手糞悪質ドライバーに遭遇する。 私は4輪を運転する場合も比較的車間距離を開けて運転する方だ。 基本的に見えている範囲内で安全に停車できる速度で走行する。 それゆえヨーロッパなどの比較的車が少なく見通しの良い高速道路などでは時速200km前後でも走行する。前方の見通しを悪くする大型車の後ろは余り走りたくない。 後ろにカーテンが引かれ先が見えない乗用車の後ろも走りたくない。 不必要にブレーキ・ライトを点灯させる車の後ろも走りたくない。 原付バイクをはじめ4輪や大型車を運転する場合は常に周辺の車の動きを観察し、下手糞ドライバーの運転する車からは離れようと気遣いながら運転している。 二輪は風の流れの爽快感は素晴らしいが4輪と比べ危険だと思う。特にタイヤの小さな原付バイクは危険だ。 道路の凹凸が怖い。 道路上のマンホールの上を通過するときなどは要注意だ。 道路上の危険物を回避するためにも4輪以上に2輪のときは車間距離を開けながら走る。 下手糞ドライバーとか頭の悪いドライバーは2輪運転時の危険性が理解できていないためか車間距離が広すぎると勘違いし、私との車間距離を極端に詰め私を煽り立てるヤツも多い。 バカじゃないかと思う。 2輪のときは下り坂カーブは怖い、恐らく4輪運転時よりもかなり速度を落として走っていると思う。 この下り坂カーブで煽り立てる4輪アホ・ドライバーにはとても腹が立つ。万が一私が転倒でもすれば死亡事故確実だ。 事故の恐ろしさを分かっていない自信過剰な下手糞ドライバー困ったものだ。 こういった下手糞ドライバーは自家用車を運転する50,60歳位の男が多いようだ。 バスの運転手とか大型車のドライバーはさすがに怖さを理解しており、私を煽り立てるようなことはしないし、なるべく私から離れたポジションで走行しているのが多い。やはりプロ・ドライバーだ。
 
アラスカ・ハイウェイで見かけた超クラシックカー
2008年撮影
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2515 15/03/30
(月)
原付バイク

 私は大型トレーラーの免許は取得しているが、自動二輪の免許は所持していない。 昔、無免許でクラッチ付きの自動二輪車を運転したときとても怖い思いをしたので自動二輪には昔から関心が無かった。新宿のど真ん中で生活していた頃、マイカーは殆ど運転することがなかった。車を手放す頃は年間走行距離100〜200km前後で、車を運転しようと思うといつもバッテリー上がりになっていた。 余りにも馬鹿馬鹿しいので泣く泣く車を手放した。 もう手放してから10年近く経過していると思う。 現在は郊外で生活しているが、車の必要性は余り感じない。知人がバイクを購入したのをきっかけに、私も原付バイクを購入した。
 原付バイクといえ、運転してみると結構楽しい。 幹線道路ではおおっぴらには言えないが時速60km以上で走ることもある。原付バイクの制限速度は30kmだったと記憶しているが、こんな速度で幹線道路を走るのはとても危険だ。 4輪に煽られたり、無理な追い抜きをされ事故に巻き込まれかねない。 バイクの操縦、私は下手糞と自覚している。 いまだに車体を傾けてコーナリングするのは怖い。 4輪でドリフト走行などの経験を踏まえるとタイヤの信頼性に不安があるからだ。
 原付バイクを運転しながら周囲の4輪ドライバーを観察したり、歩行者に優しい運転をするのは楽しい。 まずは下手糞4輪ドライバーから。 「原付の癖に〜!」と怒鳴りつけるドライバーがいた。やけに車間距離を縮め煽ってくるな〜と気づいていたが、交差点で停車中に怒鳴られた。 顔を見ると50、60の男。 こういう決め付けタイプの男は危険だ。 私は殆ど4輪とほぼ同じ感覚で原付バイクを運転する。道路の左端を利用して前の交差点で停車中の4輪を追い抜くといことはしない。 堂々と道路の真ん中4輪の真後ろに停車する。 発進加速は軽四輪よりも速い。でも後ろに下手糞あるいは危険ドライバーがいるときは、少し無理して左側から停車中の4輪を追い越し危険ドライバーから離れる。 これは4輪運転時も同じだ。運転中は危険ドライバーをより早く察知し、危険ドライバーに近づかないようにしている。 
 2輪運転に当たってはヘルメット着用が義務付けられている。 これも面白い。ヘルメットは2種類もっている。顔がすべて保護されるフルフェイス・タイプと工事現場などで見かける頭だけを保護するタイプ。 後者のヘルメットの場合、下手糞4輪ドライバーに甞められることが多いような気がする。 ぼけ〜っ!外見で判断するな!
 
モンタナ州〜カナダ・アルバータ州で遭遇したグリズリー
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2514 15/03/29
(日)
トンイ

 入院期間中、韓国時代ドラマ「トンイ」全60話を観た。 昔NHKで放映していたドラマだ。 無茶苦茶面白かった。 毎日12時間以上小さな画面のDVDプレイヤーで見ていたため目がしょぼしょぼになり、挙句の果てに頭痛まで引き起こしてしまった。 韓国時代劇では明確な身分制度が存在した。基本的には両班と呼ばれる特権階級が支配的な世界だ。 お馴染みの南派、西派、老派などの朝廷内の権力闘争を絡ませた物語だ。 現代日本社会にも色々と示唆を与えてくれる物語という印象だ。 主役のトンイは賎民出身ではあるが、王の寵愛を受けるなどして従1位の最高位の側室にまで任じられ、いつも搾取や不当な扱いを受ける多くの賎民の気持ちを理解した上で世の中作りに労を注ぐ。 この被支配階級の世界に自ら入り込み体験することは極めて為政者にとって重要だと思う。
 ふりかえるに今の日本社会、貧乏で無知で搾取され続ける一般国民と、一部の高級官僚や利権を得た人々と韓国時代劇の登場人物と対比させることができるのではないかと思った。 権力闘争と自己利益追求のために陰謀や策略を企てる重臣たち、今の金融関係の官僚と対比させた。 のーぱんしゃぶしゃぶなどで接待付けだったかつての金融庁官僚たち、国会答弁では護送船団方式で業界擁護姿勢を隠し、あたかも一般国民の保護をや利益を謳ったような答弁、口先だけのような答弁は昔の韓国朝廷の重臣たちの発言と類似している。 いやそうだ。 彼等は国民の利益よりも自己利益を最優先しているようにしか見えない。 かつての金融庁長官らのの職歴や業績を調べるとより明確に疑惑が沸き起こる。 トンイの時代は力なき庶民の論理は押しつぶされていたかもしれないが、現代社会ではそこまでひどくはないと思う。 ジャーナリズムの劣化などの危惧はあるが、昔の韓国ほどひどくはないと思う。 高度情報化した現代世界では不正は隠し通せるものではないと思っている。 現在運用資産400兆円と推測している保険業界および金融関係者と争っているが、勝敗は別として残りの人生をこのような社会悪の糾弾にエネルギーを注ぎたく思っている。 まっ、400兆円は余りにも巨額だ、農協問題や年金問題などよりも遥かに巨額だ。 これに群がる卑しい人物はかなり多いのだろう。 悩ましくもあり頭の体操にもなる。 プラス思考で生きていこう・・・。
 
夕方の西新宿高層ビル群
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