晴美の独り言

索引

番  号 日  付 内    容  
2612 16/12/04
(日)
大きな黒い頭のねずみ

 先日の小池東京都知事の記者会見をテレビで視聴していて思わず吹き出しそうにしそうになった。 記者の「大山鳴動して鼠(ねずみ)一匹・・・」質問に対して、知事は反論され、「・・・大きな黒い頭のねずみが、いっぱいいることが分かったじゃないですか・・」と言われた。 質問内容に対して見事な切り返しの反論だったと思う。 小池知事の教養の高さをうかがわせる反論だったと思う。
 
 「大きな黒い頭のねずみ」に相当する人物は誰だろうと誰しも思う。 固有名詞こそ上げないが、共通の思い浮かぶ人物も沢山いると思う。 人物以外にも利権争い、談合疑惑、密室体質・・・、色々と問題が顕在化してくる。
 
 これまでの小池知事による発言は一般大衆国民に対して大きな啓蒙活動として有意義な発言だと思う。 東京都の問題は豊洲や、五輪等を含め金額的問題にすると高々3〜5兆円程度の問題だろうと思う。 それに控え、日本金融界に巣くう「大きな黒い頭のねずみ」による国民の被害は桁違いだ。
 
 生保業界の法令無視/軽視をもいとわず、大衆から資金を広く薄く掻き集め、政府等が懸命にポンプを駆動して資金を流動させようとしているにもかかわらず、資金は金融機関に塩漬けにされてしまい、結局個人消費は拡大せず、資本力ある者に富が集積されてしまう。
 
 生保業界による明らかな法令違反の事実を示して金融庁に相談しても、行政は逃げるのみ。 国民から強大な権限が委譲されているにも関らず、国民の期待に応えようとはしない。
 
 「おかしいな〜・・・」と調査していくと官民が一体化して築いてきたかのような天文学的な資金、責任準備金(300兆円以上)に色々不審な点があることが明らかになってきた。 もはや人知では制御不能なように肥大化した原因は何か? 300兆円の資金力を背景とした生保業界による産官政学をも含む長年にわたる影響力行使などが見え隠れしてくる。
 
 更に調査すると平成10年に事件化された大蔵省接待汚職事件だ。 当時処分された大蔵官僚などの以降の経歴などを調べた。 処分なんて無関係と思われるほどの華麗なる転職(天下り)が目立つ。 黒いねずみどころか「人間」に変身して人間社会を牛耳ろうとしている元「黒い頭ねずみが」何と多いことか・・・。
 
 現在は天下りに関してはやや規制強化されているようだが、どこまで効果があるのかは分からない。 この事件以前の金融事件などを調査しているとバブル崩壊など当時の大蔵官僚たちの「驕り」というか「国民無視」の姿勢が浮かび上がってくる。
 
 更に調査を進めると日米経済交渉など、金融に関しては実に多くの要因がからみ、資金力ある者に富が集積されるような構造が形作られてきたのが分かる。
 
 小池知事の発言は日本人の99.9%を占めているであろう富裕とは言えない一般国民を啓蒙するのに非常に役立っていると思う。 
 
 ともかく我々は個人金融資産の運用益に対して分離課税や所得税として課税され手取りの運用益は少なくなっているのだ。 この少なくなった運用益を生命保険控除という名目で10万円までは課税控除されるが残りは所得税として課税され、結果的に住民税、国民保険料などに反映されてしまうのだ。
 
 それに反し生保業界では300兆円の運営資金で年間8兆円もの運用益を上げているにもかかわらず殆ど課税されない。 この運用益が更に責任準備金を積み増していく。
 
 1990年代、金融機関による不良債権問題、証券不祥事、中堅保険会社の破綻など大きな金融事件が次々と発覚した。 大手金融機関はすべて生き延びた。 犠牲になったのは中堅以下の金融会社だ。
 
 1980年代まで遡って審議会などの議事録を読み調査すると保険部会だけが目立たない。 以降保険業法改正や大蔵省告示により保険会社がより優遇税制の恩恵を受けやすい体制が築かれてきたようだ。 業法改正などにより法令類をもはや理解不能なまでに複雑怪奇な体系に変えてしまった。 税制調査会や金融審議会の議事録を調査しても保険業界の優遇税制に対して疑問を挟むような審議内容は今のところ発見していない。
 
 とにかく300兆円以上の保険業界の運営資金、かつての郵政改革時にまつわる資金の3倍以上もあり、これにまとわりつく「大きな黒い頭のねずみ」の数も桁違いに多いと思われる。 しかも過去50年以上も「大きな黒い頭のねずみ」の存在を目立たぬようにして各界へ影響力を行使してきたと思われるのでとても始末に悪い。 
 
ハワイ州 オアフ島 ハナウマ湾 
2002/1/30 2002/11/13訪問
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2611 16/11/23
(水)
金融不祥事の記録

 アフラック新Everの約款解釈でアフラックと見解相違があり、政府が利用を薦めている金融ADR制度を利用して生命保険協会裁定審査会に紛争解決依頼を行なった。 もう2年以上前だ。

 アフラック顧問弁護士による策略もあったとは思うが、生保協会裁定審査会は申立内容を無視した不当裁定を下した。
 
 この不当裁定に対して生保協会に異議申立等を行なったが、権限外と拒否された。
 
 法令類で規定されている生保協会の「中立・公正性」に対して重大な疑念が浮かび上がった。 殆ど一般には知らされていない指定紛争解決機関としての生保協会の組織や運営実態、調査すると「中立・公正性」が担保されていないのは明白だ。
 
 生保協会に対して不当裁定に関する問合せを続けているが、問い合わせ内容を無視した不適切な回答を生保協会は繰り返している。 暴力団や幼児のような無茶苦茶な論理を展開するばかりだ。 金融庁等にもこの不適切な生保業界の行為等を相談しているが、今のところ殆ど消極的なようだ。 なぜか? かつて国債保有率筆頭だった生保業界に対する行政側の配慮か? 少しは理解できるところもあるが、更に調査すると保険業界に対する優遇税制に関してかなり疑惑が浮かび上がってきた。
 
 保険業界は責任準備金という名目で300兆円以上の資産を運営し、年間8兆円以上もの運用益を上げている。
 
 個人も含む保険業界以外の業界では運用益には課税されるが、保険業界の8兆円以上もの運用益には殆ど課税されない。 この運用益が更に毎年責任準備金繰入額として3兆円も損金扱いで責任準備金に積み上げられ、さらに責任準備金は肥大化する。
 
 この責任準備金繰入額は我々個人にとっては年簡に支払う保険料のようなものだ。 日本人一人当たり25万円程度も払っているのだが、10万円程度の保険料控除はあるものの残りは課税されるのだ。 生保業界の責任準備金繰入額に対しては経費として扱われ課税されない。 とても不公平な税制が長年放置されてきた。
 
 この不公平税制を是正することで年間3兆円程度の国家収入あるいは国民への還元が可能になるのではないかと思っている。 現在検討されている年金改革法案や、高額医療費制度、配偶者控除などの議論が馬鹿馬鹿しく思えてくる。スケールが桁違いなのだ。
 
 これまでの金融審議会、政府、自民税制調査会、国会議事録等を眺めてみたが、この不公平税制に対する質疑等は今のところ発見できていない。 ネット上では不公平税制に異議を唱える有識者の見解等も公表されているが、不思議と発展していない。 何らかの圧力を感じてしまう。
 
 また現在検討されている諸法案類は将来国家が果たすべき社会保障費を捻出するために、サイレントで一番人口の多い中間所得者層に負担を強いる性格が強く臭う。 生保業界のような法人を含む超富裕層に対する課税強化の話は殆ど立ち消えにされているようだ。 「富は資本力ある者に集まる」言葉通りだと思う。
 
 何故、このような不条理が罷り通っているのか? 戦後の金融行政の経緯を調べて始めた。
 
 あるわ、あるわ、調べれば調べるほど疑惑が浮かび上がる。
 
 バブル崩壊後、銀行業界や証券業界に対する金融行政に対して社会問題化したが、保険業界は余り問題にされていなかったようだ。 むしろ、銀行、証券業界に注目が集まっているのに乗じてこっそりと保険業界に有利な状況が作り出されたのではないかと疑っている。
 
 当時は天下り問題など業界癒着が甚だしかったようだ。 1998年、大蔵省接待事件(ノーパンしゃぶしゃぶ事件)で官民癒着の実態が少しは明らかになった。 これを契機に大蔵省は財務省と金融庁に解体された。
 
 金融庁は職員数1500名程度の小さな組織だ。 このうち幹部社員は僅かだ。 不適切な業界の行為を事実を示して報告し続けているにもかかわらず、業界に対する強大な権限が委譲されているにもかかわらず、監督官庁として国民保護姿勢を積極的に示さない金融庁の事情も少しは思い浮かぶ。 これまでの長年にわたる金融行政の歴史を紐解くと必ずしも好意的ではない理由も思いつく。 
 
 まぁ、調べれば調べるほど面白くなってくる。 今の私、これまでの人生で一番好奇心旺盛なのではなかろうかと思う。 ホント、毎日毎日充実した日々を送っている。 1日が何と短く感じることか・・・。
 
日増しに秋の気配が強く感じられるようになっています。
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2610 16/11/16
(水)
人生に影響を与えた言葉
 
 私に残された時間は後5年という思いで、毎日を過ごしていると実に充実した日々と実感できる。 他人の幸せなんて全く考えていない。 自分が幸せになるために他人が幸せになるように自分なりに努力しているだけなのだ。 自分の人生を振り返る機会も多くなった。 これまでの人生で、自分なりに自分の人生に影響を与えてきたとおもう言葉を思い浮かべてみた。
 
ノースカロライナ州 ライト兄弟記念碑
2004/6/9撮影
  自由・平等・博愛
 
  小学生の頃、ナポレオンの伝記を読んでいた頃めぐり合った言葉だと思う。 私にとってとても重要な価値観だ。
 
I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
 
 私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。
 
高校1年生の頃だったと思う。 受験問題にもなったニュートンの言葉だ。
l高校生のときは試験で良い成績を獲得する目的が主で、内容的な深みは余り感じていなかった。 むしろ社会人となってからこの謙虚な気持ちがより理解できるようになったと思う。
 
無知の知
 
大学生時代「世界の名著」という全集を読んだ。 当時内容的に難しく全集全部を読むことはできなかった。 この言葉はソクラテスの言葉だったと思う。高校時代「倫理」というとてつもなく退屈な授業で知ったと思う。 高校生当時、とても言葉の深い意味なんて理解できていなかった。
 
社会人となり、結婚や子供に恵まれ、また社会の様々な矛盾や諸問題を自覚、痛感できるようになり、徐々にこの言葉の意味するところが理解でき、人間的にも円熟できるきっかけともなったような言葉だと思う。
 
我思う、故に我有
 
 デカルトの言葉だ。 肺癌を患って以来、自分自身の人生について以前にも増して考えた。 「人生とは?」、「何故、自分の死を考えることは恐ろしいのか?」 自分の最後を幽体離脱の如く情景を今自分の頭で想像できる自分・・・、「自我」とは? かなり深みのある言葉と思うが、デカルトが真に伝えたいことは、まだ自分には理解できていないと思う。 まだまだ未熟なのだろう。
 
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2609 16/11/03
(木)
一票の格差裁判

 国政選挙が行なわれる度に「一票の格差」が話題になり。 選挙後、弁護士団体等が裁判無効の訴えを行なっているとの報道がよく行なわれている。 各地で「一票の格差」問題の訴訟が行なわれ、合憲、違憲などと判決が割れている。
 
 一票の格差問題、個人的には訴訟しなければならないほど深刻な問題とは個人的には思えない。 そもそも現在の選挙制度のもとで、一票の格差を皆無にするのは不可能だ。 2倍までの格差までは許容範囲とするのも、根拠が薄弱だ。 国もそれなりに定員調整や選挙区調整などで格差是正には努めているようにも思える。
 
 多くの選挙民にとって、この格差問題は、裁判に訴えなければならないほど深刻な問題とは捉えていないと思う。 全国各地で行なわれている「一票の格差」裁判、税金の無駄遣いのような気がしてならない。 多くの選挙民の思いを代表して訴訟を起こしているとは思えない。
 
 裁判官は担当する訴訟案件が余りにも多く、超多忙という話もよく聞く。 それ故「?」と不可解な判決も多いように感じる。
 
 世の中には国民にとって不利益を被っている事案が余りにも多すぎる。 東京都の問題等、既得権益や、利権問題、所得格差拡大問題・・・、情報量や知識量不足の大衆から富裕層が富を掠め取るような合法/非合法ぎりぎりのような事例が多数存在するのだ。 オリンピック関連施設問題のように、問題提起しただけで、施設建設費が大幅に削減できるのだ。 利権がらみの問題や、悪徳商法などを調査したり訴訟に持ち込むことで、日本国民一人当たり数10万円は可処分所得は増加すると推算している。
  
 「一票の格差」裁判を起こしている諸団体はより多くの国民の共感を得られるような案件について問題提起していただきたいと思う。
 
アラスカ州 バルデーズ
2008/6/30 撮影
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2608 16/10/24
(月)
マネー・ワールド

 3週間にわたり放映されていたNHKスペシャル「マネー・ワールド」を見終えた。 就寝時の子守唄代わりに再生しながら見ていたので、十分には理解できていないと思うが、内容的には殆ど共感できたり、ずっと以前から疑問に思っていたことなど「よくぞ報道してくれた」というような内容だった。
  
 番組は現在大きな変換点に差し掛かっていると推察される資本主義体制下における所得格差の拡大傾向に警鐘を鳴らしている点が一番有意義であろうと思う。
 
 富裕層がより多くの富を掻き集めることができるのは必然的というのが私の昔からの自論だ。
 
 富に限らず「力」も同様だ。 会社組織等で職位が高い者ほど、その労働内容と比較して過大な「力」が付与されたり、危険時には「逃げ道」が探しやすい構造になっている。
 
 番組では近年ジニ係数(所得格差の程度を示す指数、0〜1、1に近いほど格差が大きいことを示す。)が大きくなっていることが示された。 世界的に見て日本や北欧諸国は小さく、社会主義体制や独裁国家のような国々の係数は高いようだ。 この傾向は1960年代頃から日本も含め世界的に上昇気味のようだ。
 
 資本主義体制の下で、植民地政策や発展途上国向けの投資で富を拡大するのは限界が見え始め、富を得るための世界を金融という擬似的世界へとシフトし始めた頃だ。 日本では高度経済成長社会に突入し、バブルへと向かい始める頃だ。
 
 前にも述べたが、金融世界は博打打の世界のようなもので圧倒的な資金力を保有するものや情報を有する者が富を奪い取る。 「奪い取る」という表現は、以前の体制では資本投下により誰にでも理解可能な新たな富を創出していたが、昨今の金融世界では新たな「富」を創出しているようには思えない。限られたパイの奪い合いだ。
 
 1960年代までは、資本家はあたかも海洋国家のような振る舞いで、そこそこに適正な富の再配分が行なわれていた。 これに対し金融世界では大陸国家的な振る舞いが目立つ。 「勝つ」か「負ける」の世界で、富の適正配分が崩れ、結果ジニ係数が大きくなってしまう。 
 
 番組では産業革命前後から資本主義体制の変遷なども報じられていた。 200〜300年もの長期間の範囲で俯瞰されていたのは私には新鮮だった。
 
 思えば、ヨーロッパのルネサンス当時の貴族と呼ばれる富裕層、植民地政策を推進していたヨーロッパの海洋国家などの資本主義体制下での主役たる投資家の振る舞いもそれなりに品格があったと思う。 かつての英国のインドや香港への政策、日本の台湾への政策など多分それなりに品格があったと思う。
 
 現実社会で富を築き上げてきた米国のロックフェラー、スミソニアン、デュポン家などと比べ、金融世界で富を得ようとする金融関係者は行動が下品になってきているように思える。 下品な投資家へと主役交代が行なわれた。 
 
 インターネットが普及するにつれ、富を得るためのステージが「ネット空間」にも及びだした。 Google 、Apple ,SoftBank等、世界的影響力を持つ企業が台頭してきた。 これらの企業はグローバル化の掛け声の下、利益追求に奔走する。 Appleは租税回避のためにアイルランドに所得申告し、確か1兆円程度だったと思うが、節税しようとし、ヨーロッパで問題視されているようだ。
  
 番組は資本家、国家、労働者と3つの階層に区分してあたかも階層間での調整問題といったような印象を受けた。
 
 最近は超巨大企業の台頭で国家すら巨大企業の暴走と思われるような行為を規制できず、逆に国家財政を巨大企業にむしりとられていることもあるようだ。
 
 新たに台頭しつつある資本家達、益々下品になり、所得格差拡大をはじめとして社会不安を増大させつつあるように感じる。 そろそろ本気でこの暴走を押さえ込まなければ、歯止めが効かなくなるのではないかと懸念している。 日本も例外ではない。 何度も述べているが保険業界ではもう暴走に歯止めが効かないような状態に突入していると思う。
 
 番組では新たな資本主義社会体制として「共有社会」という概念が紹介されていたが、私の理解不足もあるかもしれないが、私にはまだ素直に受け入れることはできない。 むしろ、新たな世界は大多数の大衆の心の中に存在するのではないかと思う。
 
 ホント、富裕層の方々、余命5年の「癌」と診断されて欲しい。 余命5年となれば、俗っぽい「富」、「力」などの量的拡大願望なんて吹き飛ぶと思うのだが・・・。ウルグアイだったかな。。。、世界一貧乏な大統領と賞賛されたシムカ大統領の爪の垢でも煎じて欲しいと思う。 貧乏人のひがみか・・・・。
 
可愛かったのでついつい撮影しました。
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2607 16/10/20
(木)
資本主義の未来

 先日NHKスペシャルで「資本主義の未来」というタイトルで放送されていた。  録画していたその番組を子守唄替わりに毎晩見ながら就寝ている。 恐らく3、4分で寝入ってしまうので、なかなか最後まで見ることができない。 毎回、前回見た記憶のある箇所まで早送りしてから見続ける。 恐らく全部観終えるのに2,3週間かかるだろう。
 
 フランス革命とか産業革命の頃から、資本主義が社会に広がったようだ。 資本主義の厳密な定義はないようだ。 私の勝手な解釈では資本主義とは「資本家が資本を投資してより効率的に財を増やし、投資家や社会をより豊かにするシステム」程度に考えている。 対比できるかどうかは判らないが、共産主義とか社会主義よりはまだマシなシステムだと思う。 スターリンや毛沢東などのように共産主義では明確に支配階級と生産者階級が分かれ、支配階級に富や力がより集中してしまっている。 資本主義も近年は資本家により多くの富や力が配分されているような気がする。
 
 資本主義は当初は、資本家、生産者という階層社会環境の中で拡大した富を各階層が不満を爆発させない程度に分配していたと思う。
 
 富や生産力が強化されてくると、ひとつの地域でだけで活動していては拡大させるのに限界が生じてしまう。 ヨーロッパの国々は植民地政策で市場を広げると共により安い労働力を得て、更に拡大させてきた。
 
 戦後、植民地政策はなくなり、資本家は開発途上国などに市場や生産拠点を求め、より多くの富を得ようとしてきた。
 
 地理的拡大も全地球的になり、それも限界に達しようとしている。 資本家は金融市場という架空世界で更に拡大させようとしている。
 
 金融市場は私から言わせれば、博打の世界だと思う。 新たな財を産出する世界とはとても思えない。 日々報道される為替相場とか日経平均株価など、庶民には殆ど関係ない。 実際、証券取引所での売買について調べると、60%は海外投資家、20%が個人投資家、まず18,19世紀頃の「企業に資本を投じて利潤を上げさせて、配当を期待して株を売買する」ような投資家は数少ないと思う。 殆どは博打と同様に株価等値上がり期待で投機目的で、売買しているように見える。
 
 放送では現在は資本主義の大きな変換点とか危機とか叫ばれていたような気がする。 確かにそう思う。 資本家とか我々庶民のような階層との格差拡大が益々大きくなってくると思う。 世界所得上位36人の所得合計と世界下位36億人の所得合計が同じと放送されていたような気がする(気がするで申し訳ない・・、とにかく眠りながらみているので記憶が定かではないのだ)。
 
 資本主義が台頭する以前にもメディチ家のように大富豪がいた。 当時の貴族たちは、品格も備えていたような印象を持っている。 産業革命以降台頭してきた新たな資本家達は、富が増えるにつれて品格を落としてきたような感じがする。 自らの人生とか存在そのものの目的が自らの富を拡大させることと勘違いしているような気がする。 そうではないと思う。 より幸せになることとか、自分なりに満足できる人生を過ごすことが最重要だと思う。 人生の目的を「金儲け」と思う人々は余りにも心が貧しすぎると思う。
 
 資本家は地理的拡大に限界を感じ、新たな財を産出するとは思い難くもしかしたらゼロサム社会と思われる架空世界でより多くの富を掻き集めようと活動する。 基本的には情報量の少ない大衆を勘違いさせたりなど、どちらかと言えば下品な手口で富を掻き集めるというか搾り取る。 
 
 知人が「Money is Power」と言っていた。 残念ながら現代社会では的を得た言葉だと思う。 同じ人間同士の競争社会では資金力ある方が絶対的に優位なのだ。 賭け事の世界では無尽蔵の資金力ある方が絶対に勝つのはよく知られたことだ。 相場もより多くの情報をより早く得た方が絶対に有利なのだ。 より有利な情報を得るためにはそれなりの資本を投下しなければならない。 場合によってはマスコミを巻き込み情報操作も富を拡大させるための手段となりうる。 政治力も利用価値がある。 やはり資金力ある方が絶対的に有利なのだ。 かくして資本家達は益々品性を落としつつ富を拡大させ、格差拡大を更に加速してしまうのだ。
 
 私のような貧乏な一般庶民もこれから益々高度化するであろう情報社会の中ではより賢明になり、資本主義の未来に危惧を抱き、新たな社会体制はどうあるべきか考え始めるのではないかと期待している。
 
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2606 16/10/17
(月)
金融関係者(2)

 学生時代は遊びほけていて、日本社会の様々な問題なんて全く気にもかけていなかった。 就職時、共に学んだ理科系の知人らが、銀行等に就職するのがやや不満だった。 自然科学を学んだ人間が金融系企業で活用してもらえる場があるのか疑問にも思っていた。 恐らく金融系企業の募集において、その高待遇に魅せられて多くの理科系人間が就職したのだろうと思う。 当時は銀行系の業務なんて殆ど知らなかった。 でも金融系企業では理科系出身者は活躍の場が少ないだろうとは漠然とは思っていた。
 
 私は情報処理産業に就職した。 非金融系のSEとして会社に育てていただいた。 世界最初、世界一、などの目標を与えられそれなりに多くの経験をさせていただいた。 技術力にかなり自信が持てた頃、金融系の仕事もさせていただくようになった。 それまでは社内的にも金融系の社員とは殆ど接触もなかった。 金融情報処理分野で頑張っている人々と接触するようになり、若干の違和感を感じるようになっていた。
 
 システム的には銀行系システムなんて全く面白くない。 高度な技術力は必要とされないような感じだった。
 
 よくよく考えれば理科系人間と社会科学系人間と考え方に根本的な相違があるのではないかと思う。
 
 基本的に理科系人間は自然そのものが研究対象で、研究の方法論もほぼ確立されているのに対し、社会科学系は人間社会の中で勝ち抜く方法を研究しており、その方法論も確立されているとは思われない。
 
 社会科学系の論文を読んでもとても難解で言葉遊びをしているような感じもする。 また長ったらしい修飾語を付し、いかにも責任逃れ目指しているかのように感じる論文も多い。 権威付けるためかどうかは判らないが引用も多い。 
 
 技術的にも一番熟してきた頃、個人的には大変な危機に見舞われた。 小学生の子供が摂食障害になり、登校できなくなってしまった。 中学校は殆ど登校できず。 離婚を含む家庭崩壊になってしまった。 この苦しいときに会社では上位ポスト争い真っ盛り。 ポスト争いのライバルは金融系で長年やってきた社員。 彼らは表向きは穏やかな感じなのだが、基本的には己の利益中心に動く。 このとき金融系人間に対して強く不信感を抱いた。
 
 私は罠に嵌められてしまった。 私は退職した。 退職後、新宿にスナックを経営する前の頃だったと思う、某銀行に預金のために出向いた。 このときの銀行員の豹変振りに驚いた。 以前のように会社の名詞を差し出して話すと最上級の扱いを受けたが、いかにも遊び人のような風体だと、銀行員の「上から目線」、同じ金額の預金なのに見た目でこれほど差別するとは・・・、と驚いた。
 
 基本的に金融関係者は自分が責任を被らないように行動する。 銀行での融資審査、融資を受ける企業の将来性なんて関係なさそうだ。 万が一のときの担保が確保されるか、こういった責任を負わない体制を築くこと第一ではないかと思うほどだ。
 
 非金融系と比べ金融系は新たな財を産出するとは思えない。 それ故、金融関係者は言葉巧みに多くの庶民を勘違いさせるなどして、自己保身や自己利益を追求しているのではなかろうかとも思ってしまう。
 
 最近は保険業界との紛争で益々金融関係者が信用できなくなってきた。 ま、今回の結論としては、金融関係者は無責任、責任逃れ、詭弁などが実に上手ということだろうか・・・。 ホント、金融関係者って信用できないわ〜。
 
アラスカ州 Richardson Hwy
2008/7/5撮影
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2605 16/10/12
(水)
都内大規模停電

 テレビをBGMのように点けてパソコン作業をしていた。午後3時過ぎ頃、突然テレビの音が消えた。 おかしいな〜、と思いながらテレビの方をチェックする。 光ケーブル接続だったと思うがテレビ台の音響システムの不調と疑い、電源をオフ/オンして復旧。  もう音響システムも古いし、音響システムの故障かな〜、と思いつつ、PC作業継続。 10分程度経過してまた同じ現象、同じように復旧してもやはり、しばらくすると音が消えてしまう。 接続しているテレビ本体の動きもおかしい。 テレビ台の音響機器の電源をオフにして、テレビ本体のスピーカーから音を出すようにした。
 
 しばらくしてニュースショー番組でしきりに東京都内の大規模停電の報道がされはじめた。 テレビの音声以外は我が家では停電と思われる現象は発生していない。
 
 夕方頃、テレビで停電は解消したとの報道。 もしかして、音響システムの不調は停電事故による瞬断か瞬間的な電圧低下などの影響か・・・、とも疑った。 試しに以前と同じようにテレビ本体からの音は消し、テレビ台の音響システム経由で音を出すようにした。 全く異常は起こらなかった。
 
 停電事故発生時頃、パソコンや照明など他の使用中の電気機器には異常は感じられなかった。 我が家は停電事故よる影響は殆ど感じられなかったが、今思い返せば殆ど気づかないような影響があったのだろうと思う。 特にHDMI接続のようにデジタル情報をやりとりしながら電気機器を接続してシステム化されている場合は、瞬間的な停電といえども、情報をロスしてしまい、音響システムのように正常に稼動できない状況に陥ってしまったのだろうと勝手に思い込んでいる。
 
 報道によると56万軒が停電したそうだが、我が家のように恐らく停電とは認知されていない何らかの影響を受けた方々はかなり多いのではないかと思う。
 
 ふ〜、一時はテレビ等の故障でそろそろ買い替えなのかな〜と諦めかけていたが、どうやらまだ買い替えの必要はなさそうだ。
 
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2604 16/10/9
(日)
金融関係者(1)

 昔、金融界という世界はもっとも信用を重んじる業界だと思っていた。 ここ数年にわたりアフラック新Everの約款解釈問題で紛争中だ。アフラック、生保協会に苦情を申し入れてもその不誠実な苦情対応を受けて、金融界の信用に対する思いが一変した。  
 金融界は世の中で一番信用できない人種の集まりではないかと思うようになった。 昔、信用を重んじる世界と思っていたが、これはとんでもない勘違いだった。 彼らは責任逃れのため数値など証拠に残る事象に対しては一部の狂いも無く正確に処理しているように見せているだけだ。 人間的には全く信用できない。 生保協会生保相談所のように苦情申立を行なっても堂々と「黒」を「白」と言い続ける。 彼らにとって都合の悪い苦情申立の内容なんて、意図的に無視してしまう。 彼らは詭弁の天才、詐欺師集団トップの見本のような印象を受ける。 
 
 新入社員の頃は私は非金融業界のSEとして育てていただいた。 色々な業種を経験させていただき、金融界も経験させていただいた。 メガバンクから信用組合まで、銀行、証券、保険と色々な分野を経験させていただき、多くのシステム関連の金融関係者と接触する機会を得た。 銀行系で思い返すと、銀行の規模が大きくなるにつれて、銀行側の責任者は悪人ぶりが目立ってくる。 規模の小さな信用組合の部長らは、本当に人間味溢れるお人好しそうな人物が多かった。 都銀事務管理部部長なんて、ホント、ずる賢い。
 
 あるとき、銀行側のチョンボでシステム・トラブルが発生した。 管理部長は、今後の取引をちらつかせ、トラブルの原因をメーカー側に依頼してきた。 泣く泣く、始末書的な処理をせざるを得なかった。 
 
 メガバンクの頭取なんかはときたまテレビで見かけるが、とても人相が悪く見える。 かっこよく話しているが、とても信用できない。 銀行系、昔不良債権問題で国費を投じて救済されたことを忘れたのだろうか? 回復して莫大な利益を計上できるようになったからには少しは自分のグループの環境改善のみならず社会貢献していただきたく思う。 待機児童問題でも自グループ内では整備はするが、グループ外では貢献しているようには思えない。
 
 知人が「Money is Power」なんて言っていたが、残念ながら、今の世界は本当だと思う。 預かり資産が大部分ではあるが、日本の金融資産はおよそ2000兆円、この天文学的な金はもう人間には制御できないのではないかと思ってしまう。 構造的に超富裕層に金が集まる仕組みが出来上がっているのだ。 
 
サウスカロライナ州
パトリオット・ポイント海軍博物館
2004/6/10撮影
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2603 16/09/29
(木)
個人金融資産

 2016年第2四半期の資金循環(速報)によると日本の個人金融資産は1746兆円ということだ。 日本人一人当たり1000万円以上の金融資産を保有していることになる。 4人家族だと5000万円前後の金融資産があるということだろう。 私のような貧乏庶民からすれば違和感を感じる。 多くの日本人はそんなに金融資産は所有していないと感じているのではなかろうか。
 
 恐らく所得上位1%に位置づけられるような裕福な人々が90%以上の金融資産を所持しており、残り99%の庶民が10%程度を所有しているのだろう。
 
 この極端な差は何か? 超富裕な人たちは表立ってはでてこない。 かつての高額納税者番付のようなものも公表されておらず、よく分からない。 超裕福な人達、株式上場成金とか、突然桁違いの資産を得たりしているのではなかろうか? これにより富が極端に偏在しているのではなかろうか?
 
 個人金融資産の内訳を見ると預金910兆円、保険365兆円、証券258兆円・・・、となっている。 日本人は預金が好きなようだ。
 
 保険365兆円となっているが、この金額は保険業界の責任準備金積立総額に近似している。 数字の根拠は不明だが、この積立総額が個人金融資産として扱われているのにも違和感を感じる。
 
 私たちは年間一人当たり25万円以上も保険料を支払い続けている。 これを思うと個人金融資産としての保険365兆円もある程度納得できる。 しかしながら、責任準備金は預金とは異なり、保険契約者が任意に取り崩そうとしてもできない。 あくまでも保険事故が発生しないと契約者には還元されないのだ。 365兆円もの巨額での運用益年間8兆円は保険会社の非課税で益金として計上されるのだ。 この非課税の益金がまた損金として扱われる責任準備金繰入額として毎年責任準備金に積み増されているのだ。
 
 長年の保険業界による各界への影響力行使の結果、日本の金融界はかなり国民から見放されてきたのではなかろうかと思う。 保険業界に対する税制優遇策、これを解決するだけで年間数兆円もが税収などとして国民に還元できるのだ。 
 
 政府は地方創生などをぶちあげ、地方銀行などにハッパをかけているようだが、地方銀行が可愛そうにも思えてくる。 庶民による個人消費が伸びなければ地方の企業も投資意欲はなかなか喚起されないと思う。
 
 1400兆円もの資金を預かり運用している銀行、証券業界も生保業界に対する税優遇策に対して何らかの声を上げるべきと思う。 金融庁が主催する金融審議会、金トラ協などの審議内容を眺めると、今の日本の金融界、あくまでも富裕層のために動いており、「国民ファースト」という姿勢は私にはなかなか見えない。
 
 ホント、保険業界の問題点に絞っても東京都での問題とは桁違いの規模なのだ。 
  
アラスカ州 コールドフット
ダルトン・ハイウエイ途中にある極北の町で見た超巨大トレーラー

2008/7/3撮影
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項
2602 16/09/24
(土)
物価上昇率

 先日、某国会議員が「いくら日銀がお金を供給しても金融機関に蓄積されるだけで、日本経済に良い流れを作り出すのは困難」との趣旨をテレビの報道番組で話されていた。 この議員は議員会館で直接お話させていただいたことがあるので、ある程度どこまで信じてよい話か見当はつけやすい。 常日頃、私が思っていることをズバッと話して下さり嬉しく思った。
   
 今日スーパーでほうれん草を購入しようと思い陳列棚を見ると何と一束247円! 1,2年前は100円程度だった。 天候不順の影響もあるとは思うが余りにも高すぎる。
 
 マクロで見た日本の物価上昇率は年2%には達していないかもしれないが、私のような貧乏な庶民にとっては生鮮食料品の値上がりはめちゃくちゃきつい。 ここ数年は年率20〜40%程度で上昇しているのではなかろうか。 ほうれん草を見ていた隣のおばちゃんも、価格の高さに呆然としていた。
 
 よくよく考えれば、庶民にとっては物価上昇なんて有り難味は全く無い。 物価上昇で有り難味を感じるのは機関投資家や一部の富裕層だけだろう。
  
 庶民は可処分所得が増えないこと、将来への不安などにより、旺盛な消費には消極的なのは当然だ。 更に少子化による内需の伸びが余り期待できないと予想されるため、非金融部門の産業は積極的には設備投資なんて行なう気にはなれないのだろう。 金融機関から融資を受ける気にはなかなかなれないと思う。
  
 現在の日本の経済は、人間の身体に喩えれば、日銀と政府が懸命に末端組織にまで血液や栄養分を送り込もうと努力してはいるのだが、血管に相当するであろう銀行は動脈硬化の兆候がかなり高くなっているように思う。 特に大動脈に相当するであろうメガバンクなどの石灰化は顕著なような気がする。
 
 もっとも悪どいのが保険業界だろう。 ここが末端組織で必要としている栄養源を必要以上に体内脂肪に変えているのだ。 すなわち300兆円以上にも達する責任準備金というヤツだ。
 
 ソルベンシー・マージン比率は200%以上が望ましいとされているが、長年積立に関して放置されてきたせいか最近は900%前後にまで達しているのだ。 これは年間保険金支払額の9年分に相当する。
 
 この300兆円以上も積み立てられている責任準備金は運用益として年間8兆円以上あり保険会社の収入となっているのだ。 この運用益も保険業界に限って非課税なのだ。 年間保険料収入32兆円に対して8兆円の運用益。 余りにも巨額だ。
 
 この巨額運用資金を背景にして長年にわたる保険業界による各界への影響力行使の結果、もう歯止めが利かないほどにまでなっているのだ。 メタボリック・シンドロームそのものだ。 
  
 現在、生保業界に対する税制優遇策や責任準備金に関する質問を金融庁や財務省に問い合わせ中だ。 未だに未回答が多い。 恐らく金融関係の官僚達は、生保業界の問題点は十分認識しているのであろうが関りたくないという思いが強いのではなかろうかと想像している。 とにかく生保業界の運用益に課税すれば3兆円前後の税増収になるのだ。 3兆円の税増収ならば年々増加が見込まれる社会保障費も大幅に改善でき、結果的に個人消費を喚起できると思う。 
 
 豊洲移転問題が連日報道されている。 この報道で今まで報道されていなかった役人たちの行動実態が世間に認知されてくるのは有難いことだと思っている。 大衆が日本社会の実態を少しでも認識し、目覚めることを期待している。
 
 
ハワイ マウイ島 ハレアカラ・ダウンヒル
2002/1/22撮影
約3000mの標高差、16kmを駆け下りる。
本文に対すコメント集(0)  本文に対するコメント投稿  ご投稿時の注意事項


過去ログ