肺 癌 ( 腺 が ん )      闘 病 記 録        過去
日 時
2011/9/18
(日)
退院前日

 術後2週間位経過した後、医師からもういつでも退院可能と告げられた。私は一人暮らし、住居は階段で6階まで昇らなければならない。退院して一人で生活できる自信がなかった。病院では1日当たり2000kCal前後のとても栄養バランスのとれた病院食。快適な空調、広い浴室、すぐ近くに医師や看護師がいること、私にとってはとても居心地の良いところだ。できればできる限り長く入院していたかった。それに昔契約した生命保険では入院保障は20日以上入院の場合、支払われるというのもあった。額は少ないが、できるものならば20日以上入院していたかった。
 とはいえ、病院での生活は実に退屈きわまりない。もう耐えられないほど退屈だ。で担当医と相談の結果、入院21日目で退院することに決まった。
 
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2011/9/16
(金)
微熱

 午前3時頃まで90分+トイレタイムの断続睡眠の繰り返し。午前6時頃までうとうと。合計睡眠時間6〜8時間程度。7時の検温36.8℃
 この日の朝食から毎食後に服用していた痛み止めと胃薬の服用を中止。
 リハビリ、トレッドミル時速3kmで15分+B1F→3Fの階段上り。階段上りはやはりきつい。酸素飽和度は85%にまで低下。
 自主リハビリ。B1F→4F(108段)を4回*4回合計、概ねビル80階分を上ったことになる。午後の自主リハビリでは何とか途中で休憩を挟まず4Fまで行けるようになった。4Fに到着すると手すりにもたれてしばらく休憩。
 19時の検温37.5℃、高い。
 20時、検温37.8℃、怖くなったのでナースコール。金曜日の夜だからかどうか分からないがなかなか看護師が来てくれない。やっと駆けつけて来てくれたが、いつもの看護師とは違う。看護師の説明だと痛み止め薬には解熱効果があり、これをやめたので体温が高くなったのかもしれないとの説明。気になるようだったら痛み止め薬と胃薬を服用するようにとのこと。
 20:30眠剤を貰って入眠。夜、トイレタイム時の痰排出時、痰には軽い血が混じっていた。ちょっと怖い。
 とにかく長年の喫煙習慣のため私の肺は間質性肺炎と肺気腫を抱え込んでいるのだ。間質性肺炎が急速に悪化するのがとても怖い。ネットなどでは2,3ヶ月で死亡することがあるそうだ。
 
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2011/9/15
(木)
最大の不快感

 階段上りのリハビリの運動量が大きいためか、この日は4.5時間連続睡眠できた。2時半頃目覚め、以降断続睡眠。
 午前5時から24時間の蓄尿に入る。抗ガン剤適用にあたっての調査らしい。
 6時検温36.7℃、採血。
 7時過ぎ朝食後、午前9時過ぎ頃みぞおちあたりに不快感。逆流性食道炎のような感じだ。やがて胸全体に不快感が広がり脂汗が出て、生あくびも出て、呼吸も深呼吸しなければ苦しいような状況になった。ゲップ、ゲホッ、ゲホッと上半身が悲鳴を上げる。心拍数も多分上昇していたと思う。入院以来最大の不快感だ。手術直後ICUにいたときよりも不快な感じだ。ナースコールで看護師を呼ぶ。食後すぐに横になったのがいけなかったようなことを看護師がいう。以降、食後2時間は横にはならないようにした。
 午後担当医にこの不快感を訴える。私の「心臓でも悪いのではないのですか?」との問に、「そうかもしえれないですね〜」と淡々と話ながら軽くあしらわれる。面白い先生だ。多分大した問題ではないのだろう。
 医師よりもういつでも退院可能と告げられた。私は一人暮らし。自宅は階段で6階まで上らなければならない。退院すると食事の準備や後片づけなどすべて自分で行わなければならない。とてもじゃないが今退院すると一人で生活していく自信が無い。取り敢えず9月19日退院すると告げた。このときは正直もっと入院していたかった。入院生活、とても暇で退屈だが、食事や雑用も必要なく、万が一のときには看護師や医師がすぐ近くにいる。退院したくな〜い!
 朝の採血の結果が出た。CRPの値が下がってきているのが嬉しい。

9/2 9/5 9/8 9/12 9/15 基準値 意 味
総蛋白 5.7 L 6.0 L 5.6 L 6.3 L 6.1 L 6.5-8.0 栄養状態や肝機能障害を推測するための指標
アルブミン 3.0 L 2.9 L 2.7 L 3.1 L 3.0 L 3.9-4.9 健康、栄養状態を推測するための指標
ALT(GPT) 118 H 48 H 25 19 16 4-30 肝組織の障害を推測する指標
LDH 260 H 212 173 207 208 100-230 肝臓などの障害を推測する指標
ナトリウム 147 H 142 142 143 146 H 137-145 腎機能などの障害を推測する指標
クロール 111 H 106 107 106 109 H 98-108 腎機能などの障害を推測する指標
CRP 4.4 H 8.0 H 5.2 H 3.1 H 1.9 H 0.0-0.4 体内での炎症や組織障害の存在や程度を推測できる指標
白血球数 10.10 H 7.91 8.77 9.03 H 8.03 3.5-9.0 多いと体内で炎症が起きていたり病原菌が進入していることを示す
赤血球数 377 L 404 L 372 L 386L L 369 L 410-530 酸素の運搬能力を示す指標
ヘモグロビン 11.4 L 12.1 L 11.2 L 11.4 L 11.1 L 14.0-18.0 酸素の運搬能力を示す指標
ヘマトクリット 34.2 L 36.2 L 33.4 L 34.8 L 33.6 L 40.0-55.0 貧血の程度などを推測する指標
血小板数 11.8 L 17.9 22.9 33.4 34.3 12.0-36.0 減少すると出血しやすくなったり血が止まりにくくなる。

 外科病棟は患者の入れ替わりが激しい。殆どの患者は全身麻酔が必要な手術を受ける患者だ。最近は入院期間も短い。痔の手術の患者などは2,3日の入院期間だ。肺癌患者でも胸腔鏡手術の場合は1週間程度の入院だ。開胸手術の場合は大体2週間程度らしいが、私の場合は2週間以上だ。さすがに2週間以上も入院していると、自分が古株になり何となく雑に扱われ患者扱いされなくなっているような錯覚に陥る。手術前後の看護師や医師の対応ぶりと比べると雲泥の差だ。
 最近は病院の治療成績を上げるため出来る限り患者を早く退院させる傾向が強いようだが、私がお世話になった社会保険中央総合病院では必ずしもそうではなかったような気がする。
 
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2011/9/14
(水)
病理病期確定

 4時半まで90分サイクルの断続睡眠。4時半からうとうと状態。6時10分検温36.4℃。
 階段上りのリハビリ。B1F→4F(108段)の階段上り。1日で12回繰り返す。12回の繰り返しということは60階のビルの階段を上った計算になる。
 午後、看護師からもうネブライザーでの補助治療は必要なしと告げられる。
 午後、執刀医と担当医に別室に連れて行かれ、病理検査の結果報告を受けた。とても緊張する瞬間だ。
右下葉肺S10領域に胸膜陥入像を伴う70*70*35mm大の黄白色腫瘍。組織的には円柱状胞体と腫大核を有する腺癌細胞よりなり、これらが肺胞壁に沿うように、あるいは乳頭状に増殖。癌細胞の胸膜弾性板を越える浸潤は観られず、肺内転移も認められない。リンパ節転移は認められない。気管支断端は陰性。病理病期は大きさが70mmもあるためステージUAとされた。
 癌細胞の大きさには驚かされるが、心配していた転移は今のところ認められず少し安心した。およそ1ヶ月前のCT画像では大きさは47mm前後だったが、1ヶ月後の手術時には70mm、大変な増殖速度なのか、たまたまCT撮影では癌細胞の外縁部が写っていなかっただけかもしれない。
 午後知人が見舞いに来てくれた。食べきれないほどのケーキなどをもってきた。知人が帰った後、看護師にいただいたケーキをプレゼントしようとしたが、断られた。病院では患者からの食べ物は一切受け取ってはならない規則になっているそうだ。確かにそうだと思う。
 
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2011/9/13
(火)
血痰

 昨晩9時半〜3時半頃まで90分睡眠、10分トイレタイムなどを繰り返す。4時半までうとうと。4時半以降はCD等を聴きながら過ごす。トイレに行くと手洗い時には条件反射かのように咳をしたくなる。何か喉がひっかかる感じになるのだ。多分咳を我慢できる程度なのだろうが、少し無理に咳をして痰を排出する。深夜のトイレタイム時に薄い小豆の皮のような直径4mm程度の血痰が出た。本当に血痰か、夕食時の食べかすかどうかは不明。思い返せば血痰は手術直後は知らないが、3週間の入院期間中、明らかな血痰は4,5回だったと思う。
 朝7時前検温36.6℃酸素飽和度98%
 午後リハビリ。トレッドミルで時速3km/hで10分+15分。歩行中の酸素飽和度は92,3%、話ながら歩くとすぐに90%を切ってしまう。自主リハビリ、病院の地下1階から3階まで約80段の階段上りを1日合計9回行う。さすがに階段上りは苦しい。
 
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2011/9/12
(月)
ぼろぼろの肺

 90分毎にトイレタイムを含む断続睡眠。朝5時頃目覚め。私も歌っているマーラー交響曲8番「千人の交響曲」を聴きながらうとうとと過ごす。この演奏自分なりにはかなり出来の良い演奏だったと思うが、演奏開始からおよそ10分辺りで合唱の大失敗が明瞭に録音されている。この大失敗の箇所を聴くのを待ち遠しく思いながら聴いているととても入眠しやすいのだ。丁度飲み会後の帰宅時の深夜の電車で必死で眠るのを我慢しているときの状態に似ている.必死で眠いのを我慢して次の駅で下車というときにホッとして眠り込み乗り越してしまうのと似ている。
 検温36.4℃、採血2本。
 この日は新聞休刊日だった。毎朝7時に2階のコンビニに朝刊とヨーグルトを買いに行き朝食を挟んだ1時間程度の新聞を読む時間がとても楽しみなのだが、この日は出来ない。
 美人の担当医に私の胸部X線写真やCT画像などを見せて貰い解説をしていただく。もうぼろぼろの肺のようだ。1日の喫煙本数*喫煙年数で示される喫煙指数、私の場合1000を越える。喫煙開始年齢が早いほど肺の悪化状況はひどくなる傾向らしい。担当医が胸部X線写真で間質性肺炎、肺腺維症、肺気腫、結核治療痕などを示す。もう最悪の肺だ。癌細胞は削除したものの、今は無症状ではあるがとても恐ろしい病気を内包している。ネットで調べると急性悪化すると2,3ヶ月で死亡とか50%の致死率などの表現もある恐ろしい病気だ。震え上がってしまう。中学生のとき喫煙を唆した悪友を恨めしくも思う。でも自己責任だ。
 午前9時、胸部X線撮影、正面、横の像を撮影。
 午後担当医から午前に採血した結果の説明があった。

9/2 9/5 9/8 9/12 基準値 意 味
総蛋白 5.7 L 6.0 L 5.6 L 6.3 L 6.5-8.0 栄養状態や肝機能障害を推測するための指標
アルブミン 3.0 L 2.9 L 2.7 L 3.1 L 3.9-4.9 健康、栄養状態を推測するための指標
ALT(GPT) 118 H 48 H 25 19 4-30 肝組織の障害を推測する指標
LDH 260 H 212 173 207 100-230 肝臓などの障害を推測する指標
ナトリウム 147 H 142 142 143 137-145 腎機能などの障害を推測する指標
クロール 111 H 106 107 106 98-108 腎機能などの障害を推測する指標
CRP 4.4 H 8.0 H 5.2 H 3.1 H 0.0-0.4 体内での炎症や組織障害の存在や程度を推測できる指標
白血球数 10.10 H 7.91 8.77 9.03 H 3.5-9.0 多いと体内で炎症が起きていたり病原菌が進入していることを示す
赤血球数 377 L 404 L 372 L 386 L 410-530 酸素の運搬能力を示す指標
ヘモグロビン 11.4 L 12.1 L 11.2 L 11.4 L 14.0-18.0 酸素の運搬能力を示す指標
ヘマトクリット 34.2 L 36.2 L 33.4 L 34.8 L 40.0-55.0 貧血の程度などを推測する指標
血小板数 11.8 L 17.9 22.9 33.4 12.0-36.0 減少すると出血しやすくなったり血が止まりにくくなる。

 
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右鎖骨辺りの肺結核治療痕。石灰化しているとのことだが、私にはよく分からない。
2011/9/11
(日)
痛みの表現

 前日は午後9時半頃入眠。相変わらず90分*4の断続睡眠。4時半頃目覚め、声を出さずブラームスのドイツ・レクイエムの練習を行う。長いフレーズはやはり息が続かない。
 7時前検温、36.8℃。午後、夜の検温すべて37℃近い微熱。病院の階段上りでリハビリ。B1F→4F、108段の階段だ。午前、午後、夕方と3回リハビリ、合計で700段程度階段上りを行う。苦しくなると胸上部が圧迫されている感じになる。とても息苦しい。
 よく医師に「痛み具合は?」等と問われた。終始一貫して胆石症の激痛を9とした10段階表現で、「この辺りがときどき0.3程度の痛みを感じることがある」という表現をしていた。私の基準では1以下の痛みは特に訴える程度の痛みでないというレベルだ。最近は痛み除去の技術が進歩しているのかどうかは知らないが、術後の最大の痛みは1程度だったと記憶している。咳き込んだときの痛みは最大でも1程度だった。
 その他、ベッドに横たわるときや起きあがるときに痛みを感じることがよくあった。
 手術直後は「イテテッ、イテテッ・・・・、クッソ〜」と十分痛みを感じた。痛み度0.7
 以降「イテ、イテ、イテ・・・、クッソ〜」、痛み度0.5
 「クーッ、クッソ〜」痛み度0.3
術後10日以降は「ウーッ、クッソ〜」痛み度0.1(殆ど痛みを感じない、ただ痛そうな声を出しているだけ)という感じだ。
 
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爆弾をかかえた私の肺。左下の薄い網の目状の影は間質性肺炎、肺腺維症を示しているそうだ。転移よりも今はこれが急性悪化するのが怖い。
2011/9/10
(土)
音楽室

 90分*4程度の断続睡眠が続く。各睡眠間、10分程度の覚醒時期があり、トイレに行く。トイレに行くと条件反射であるかのように手洗い中に咳をしたくなってしまう。殆ど響かない軽い咳なのだが、タイミングを合わせて痰を何とか出す。ベッドに戻りCDをリセットして10分後位に眠ってしまう。
 4時半頃にはかなり覚醒してうとうとした状態で6時過ぎまで過ごす。検温、36.7℃。朝の回診時、ドレーン穴の抜糸。痛みは殆ど無い。
 そろそろ退院のことを考えなければならない。病院での生活はとても退屈だ。時間をもてあましてしまう。時間があるというのでベッドの上でボーッとしていたらいつのまにか眠ってしまい、夜眠れなくなってしまう。昼間はできるだけベッドに横たわるの避けた方が賢明だろう。かといって何をするのだ? リハビリ、病棟内の廊下を歩くのもいい加減飽きてくる。余り歩きすぎると有名になってしまうかもしれない。この病院には階段があり、リハビリに使えそうなのはB1Fから4Fまでだ。エレベータを使いB1Fまで下りて、階段上りのリハビリを行う。B1Fの階段側には放射線科のベンチシートがあり休憩するのに都合がよい。当初は1階上る毎に休憩を挟まないととても登れない。階段上りはとても負荷が大きいようだ。
 8Fの病棟階とB1Fの間のエレベータはときどき誰も乗ってこない。こういうときはエレベータ内は私の声楽練習室になる。ベートーベンの第9交響曲4楽章のバリトンのレシタティーヴォの部分を歌う。出だしはA(ラ)の高さだ。ピッチ・パイプと呼ばれる笛で音の高さを確認し'O Freude・・・・'と歌い始める。最初のフレーズは何とか歌えるが2番目、3番目のフレーズは息が続かない。歌う速度を上げても無理だった。エレベータの中、特にベッドが運べる大型のエレベータの中は実に響きがよく、まるでプロの声楽家になったかのような錯覚に陥る。
 この日も知人が見舞いに来てくださった。退屈きわまりない病院生活、お見舞いに来てくださるのは本当にありがたい。知人として会話ができるだけでとても嬉しいのだ。見舞い品は正直不要だ。食べ物の場合、正直食べきれない。看護師さん達にプレゼントしようとしても病院では患者からの食べ物は一切受け取ってはいけない規則になっているそうだ。品物なんていらないのだ。ないほうが良いのだ。来てくださりお話しできるだけで精神的にとても救われるのだ。
 
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お世話になった社会保険中央総合病院。
2011/9/9
(金)
微熱

 昨晩は午後9時半頃入眠。50分眠り10〜20分目覚めを午前4時半頃まで繰り返す。CDを聴きながら寝ているので大体何分位眠っていたか分かるのだ。大抵、CD聴き始めて10分程度で眠り、目が覚める頃は、CDの最後の方を演奏しているので何分眠っていたか見当がつくのだ。午前4時半頃から6時頃までうとうつと過ごす。私のレム睡眠、ノンレム睡眠のサイクルは90分前後なのだが、今の私の睡眠状況はどうなっているのだろうかと少し不安になってしまう。
 午前6時検温。36.8℃。
 病院のコンビニは7:00にオープンする。術後3日目から自力で8Fの病棟から2Fのコンビニまで朝7:00に買い物に出かけていた。いつも朝刊と割引販売中の100円のペットボトルのお茶を購入するためだ。7:00過ぎベッドの上で新聞を熟読している途中で朝食が配膳される。7時半頃だろうか。病院の食事は成人食で1日当たり2000Kcal前後、これだと私の場合、少し体重が減ってくる。で、朝食と夕食後にはコンビニで買った100円強のヨーグルトを食べるようにしてカロリー不足を補った。
 食後はすぐに歯を磨いた。病室の洗面器ではなく少し離れたところにある共用の洗面台を用いた。 ここには洗面台の前に椅子が備えられておりより長時間にわたり丁寧に洗える。とにかく合併症や感染症が怖くて口腔内の清潔についてはかなり徹底していたと思う。多分、歯磨きには1回当たり10分位かけていたと思う。
 この頃は病院内を歩き回っていた。背筋をしっかり伸ばして歩くと右胸全体が軽く痛みを感じる。胸上部中央から右にかけて時々不快感がある。咳は時々出るが痰は少ない。
 午後からリハビリ。トレッド・ミルでの歩行訓練、かなり慣れてきた。時速3kmで3分+5分、途中休憩をはさみ徐々に歩く時間を長くする。酸素飽和度は92%まで低下した。病院内の階段上りにも挑戦。約50段程度の階段だろうか、かなりきつい。
 リハビリ後、自分のベッドで検温。36.0℃、汗をかいた後の体温は低くなるそうだ。
 夜検温、37.1℃。37℃以上になると不安になってくる。看護師の話によると37.5℃程度まではそんなに心配しなくてよいとのこと。食後などは体温が上昇気味とのこと。肺炎などの症状の時は、もっと緑の濃い痰が出るとのこと。微熱が続くのは気持が悪い。
 医師や看護師の言われる通り、多分順調な回復ぶりなのだろう
 
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切除された右肺葉下。3枚にスライスされているようだ。やや明るくなっている部分が癌細胞。70*70*35mmの大きさだったらしい。大きさの割には他への転移が発見されず少し安心。病理病期はUAと確定した。
2011/9/8
(木)
抜糸

 午前7時過ぎ看護師に起こされる。検温と採血だ。36.9℃、相変わらず高い。看護師達は手術後なので体温が高い目なのは仕方がないとは言うが、やはり怖い。ま、肺炎などの合併症の兆候がないかを調べるために術後、頻繁に採血やX線写真撮影を行っているのだろう。
 午後の検温も36.9℃だった。リハビリでは階段上りを行った。2階から4階まで多分40〜50段程度だったと思う。とてもきつい。酸素飽和度を測定するオキシパルスメターは登り切った時点で87%を示していた。
 午後担当医が朝の採血の検査結果の報告に来られた。また開胸部を繋ぎ止めていた金属製のホッチキスの針を外してもらった。いわゆる抜糸だ。

9/2 9/5 9/8 基準値 意 味
総蛋白 5.7 L 6.0 L 5.6 L 6.5-8.0 栄養状態や肝機能障害を推測するための指標
アルブミン 3.0 L 2.9 L 2.7 L 3.9-4.9 健康、栄養状態を推測するための指標
ALT(GPT) 118 H 48 H 25 4-30 肝組織の障害を推測する指標
LDH 260 H 212 100-230 肝臓などの障害を推測する指標
ナトリウム 147 H 142 142 137-145 腎機能などの障害を推測する指標
クロール 111 H 106 107 98-108 腎機能などの障害を推測する指標
CRP 4.4 H 8.0 H 5.2 H 0.0-0.4 体内での炎症や組織障害の存在や程度を推測できる指標
白血球数 10.10 H 7.91 8.77 3.5-9.0 多いと体内で炎症が起きていたり病原菌が進入していることを示す
赤血球数 377 L 404 L 372 L 410-530 酸素の運搬能力を示す指標
ヘモグロビン 11.4 L 12.1 L 11.2 L 14.0-18.0 酸素の運搬能力を示す指標
ヘマトクリット 34.2 L 36.2 L 33.4 L 40.0-55.0 貧血の程度などを推測する指標
血小板数 11.8 L 17.9 22.9 12.0-36.0 減少すると出血しやすくなったり血が止まりにくくなる。

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18cm切開したそうだ。
2011/9/7
(水)
エレベータの中で

 朝4時頃目覚める。看護師がブラインドを上げに来る6時半頃までCDを聴きながらボーッとした時間をベッド上で過ごす。前日の睡眠剤、痛み止め薬服用のおかげで久しぶりの爽快な朝の目覚めだ。昨晩の20時〜4時まで約8時間の睡眠、途中トイレタイムで2回起きたが、たっぷりと睡眠できた。
 朝の検温36.5℃。体調は絶好調の感じだ。声は出さないがコールユーブンゲンなどの練習を再開する。
 X線撮影を行う。術後頻繁に採血、X線撮影が行われる。肺炎などの合併症の兆候が見られないかと慎重にチェックされているのだろう。
 午後リハビリ。トレッド・ミルで時速3km、2分程度歩いたところで酸素飽和度は89%に低下。呼吸機能はまだまだ以前のようには戻らない。
 午後の検温36.2℃、すべて異常なし。
 夕方10日ぶりに洗髪。まだ湯船には入れないが、シャワーはOKだ。洗髪は作業的にも少し不安に思っていて、この日まで控えていたが、やっと洗髪した。とても気持がよい。長髪なので髪の毛を乾かすのが面倒だ。ナースセンターでドライヤーを借りて乾かす。
 この頃から新しい楽しみを見つけた。とにかく歌いたい。病院内では歌えるような場所が無い。やっと歌える場所を見つけた。エレベーターの中だ。エレベーター内に私一人の時に歌う。エレベーターにも2種類の大きさがあり、ベッドを運ぶことのできる大型エレベーターの方が響きがよい。声を出していて自分の声に惚れてしまう。でも息が続かないのに驚かされる。ベートーベンの第9交響曲、4楽章のバリトンのレシタティーヴォ、大きく3つのフレーズがあるが、2,3番目のフレーズ、速めに歌っても最後まで歌いきれない。
 エレベーターが途中の階で止まり、人が乗り込んできた。そっとその方に訊いてみた。エレベーターを待っている間、私の声が聞こえたらしい。多分お世辞と思うが、「エレベーター内で音楽を流すようになったのかと思った」と優しい返事だった。
 
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この中で歌うと自分の声がとてもきれいに響くような感じになる。
2011/9/6
(火)
いやな夢

 昨晩はなかなか寝付けなかった。とても目が冴えてしまい午前3時頃からやっと1時間につき30分程度眠る断続睡眠で、合計3,4時間の睡眠しかとれなかった。
 この10年以上夢を見たという記憶はないが、この夜観た夢ははっきりと覚えている。昔お世話になった合唱団で私が尊敬していた年若くして亡くなられたパート・リーダとの音楽談義の夢、次は新宿の繁華街で暴漢に襲われ群衆の中に逃げ込んだのだが逃げ切れず発見されて暴漢の大木槌が私の頭上に振り下ろされた、というところで目覚めた。恐らく寝言で悲鳴を上げたかも知れない。何かとても不吉な感じがする。思い返せばもしかすると、この頃が合併症の危険性が最も高かったのかもしれない。微熱が続き、この日の朝7時の検温は37.0℃だった。午前中37℃強の体温が続き、午後になってやっと36℃台に戻った。
 午後のリハビリ。トレッド・ミルで時速3kmで歩く。やや大股に歩くと負荷量が増え、たちまち酸素飽和度は90%以下になってしまう。90%以下になるとふらつき感を感じる。自分の能力低下に愕然とさせられる。
 低下後、椅子に座り休憩。深呼吸を繰り返すと比較的早く酸素飽和度は復活。ときには98%まで上がることがある。椅子に座っている状態だと酸素飽和度は大体95〜96%で安定している。
 昨日はかなりの睡眠不足だったため、昼寝少々と夜は早めに就寝。
 
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新宿高層ビル群の夜景が美しい。
2011/9/5
(月)
リハビリ開始

 相変わらず30分睡眠、30分覚醒といった断続睡眠しかとれない。
 AM7:00検温37.1℃、軽い偏頭痛を感じ、少し不安になる。朝検温等と同時に採血。
 AM9:00担当医によりドレーンの穴の処置を行って貰う。偉い呼吸器外科部長の執刀医も回診に来られるが、正直、まだ修行中の担当医の方が話しやすい。偉い医師に「どうですか〜?」等と問いかけられても先生も忙しいだろうし(実際無茶苦茶多忙だろうと思う)、時間を取らせては申し訳ないという気持が働き、「特に問題ありません」という程度しか答えられない。若くて聡明そうで美人の担当医には何かと気軽に見当外れの質問なども行える。
 「先生、私の肺の中では今何が起こっているのですか〜?」との問に
 「私も分かりません」と正直な答え。具体的なデータや症状も述べずにいきなり私の質問に答えられるはずがない。術後ほぼ1週間が経過したが合併症に関しては今はかなり危険な時期らしい。まだまだ安心できない。
 X線写真撮影。地下の放射線科に一人で行き撮影して貰う。
 午後からリハビリ開始。平坦路を歩くのは殆ど問題ない。初めてトレッド・ミルと呼ばれるランニング・マシンを用いたリハビリを行う。時速3kmでとりあえず2分歩いた。まだ慣れていないため、みるみる酸素飽和度が下がってしまう。歩行開始時96,7%あったのが歩き始めると徐々に下がり始め87%程度まで落ちてしまった。酸素飽和度は90%以下になるとかなり呼吸困難感を覚えてしまう。
 早朝採血した検査結果を担当医から説明を受ける。前回の検査結果よりも良くなっているようだがCRPが高くなっているのが気になる。もしや合併症としての肺炎が顕在化しているのではないかと不安になる。

9/2 9/5 基準値 意 味
総蛋白 5.7 L 6.0 L 6.5-8.0 栄養状態や肝機能障害を推測するための指標
アルブミン 3.0 L 2.9 L 3.9-4.9 健康、栄養状態を推測するための指標
ALT(GPT) 118 H 48 H 4-30 肝組織の障害を推測する指標
LDH 260 H 212 100-230 肝臓などの障害を推測する指標
ナトリウム 147 H 142 137-145 腎機能などの障害を推測する指標
クロール 111 H 106 98-108 腎機能などの障害を推測する指標
CRP 4.4 H 8.0 H 0.0-0.4 体内での炎症や組織障害の存在や程度を推測できる指標
白血球数 10.10 H 7.91 3.5-9.0 多いと体内で炎症が起きていたり病原菌が進入していることを示す
赤血球数 377 L 404 L 410-530 酸素の運搬能力を示す指標
ヘモグロビン 11.4 L 12.1 L 14.0-18.0 酸素の運搬能力を示す指標
ヘマトクリット 34.2 L 36.2 L 40.0-55.0 貧血の程度などを推測する指標
血小板数 11.8 L 17.9 12.0-36.0 減少すると出血しやすくなったり血が止まりにくくなる。

 午後知人達が見舞いに来てくださる。退屈な入院生活とても嬉しい。痰の量は2,3日前よりは減少したようだが血痰の量は変わらない。CRPが高くなっていることを思うと、ホント手術後1週間はとても危険な状態だと思い知る。夜の検温は37.2℃。この体温上昇傾向も更に合併症の不安を煽ってしまう。何となく左手腕や左指先、左下肢が痺れているような感じがする。
 
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ばち指

 肺に疾病があると「ばち指」になると言われるが、ネットで調べても自分のどの指がばち指を示しているのかよく分からない。
2011/9/4
(日)
 6時起床。検温36.7℃。地震があった。
 前日と比べ痰の量は少なくなってきた。血の混じった痰も出た。
 咳をすると切開部ではなくて右胸上部に痛みを感じる。担当医の話では肺は痛みを感じるような臓器ではないとのこと。胸膜か肋骨の先端部が痛みを感じているのではないかと思う。
 病院では日曜日は体重測定の日でもある。60.2kgだった。私が理想とする体重よりも約1.5kg軽くなっている。カロリー不足か? 間食もOKとのこと。ただ、間食する毎に口内を清潔に保っておくのは面倒くさい。
 看護師の話によると順調な回復ぶりとのこと。お世辞でもこういった言葉は嬉しい。少しは自信がついてくる。
 ティッシュペーパー1箱目を使い切った。一度の咳込みで痰を吐き出すとき、私の場合、ペーパー3,4枚を使う。計算すると術後、100回以上も痰を吐き出したことになるようだ。
 13:30血痰が出た。気になるので看護師に観て貰った。この程度の血痰ならば全然問題ないとのこと。午後の検温36.7℃、相変わらずやや高めだ。一体、自分の肺の中では何が起こっているのかとても気になる。
 
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トリフロー

 手術前日病院から借りて呼吸訓練を行った。確か息を吐き出して中の球を浮き上がらせる訓練器だったと思う。勢いよく息を吐き出すと簡単に3つ共浮き上がるが、ゆっくりと息を吐き出すと3つとも浮き上がらせるのはやや難しくなる。
術後は全く利用しなかった。
2011/9/3
(土)
シャワー可

 午前6時半起床。相変わらず1時間以下の断続睡眠だ。でも睡眠時間合計では多分1日当たり7,8時間は睡眠をとっているだろうと思う。 起床時検温37.1℃、相変わらず高い。
 ここ最近痰の量が増えてきたような気がする。毎日倍増しているようだ。
 美人担当医の回診。背中の痛み止めのチューブを抜いて貰う。このチューブ、もっと以前に抜くことも可能であったが、余りにも痛みが少ないので、チューブを抜くのを延期してもらっていた。これですべてのチューブは無くなった。医師の話によると手術中、リンパ節への移転は見当たらなかったようだ。まだ病理検査中だ。病理検査ではEGFR変異遺伝子に適応するかどうか調べてもらう予定だが、これが有効だとイレッサなどの癌治療薬は劇的にガン細胞を撲滅していくらしいが、私のような長期喫煙者の場合、肺腺維症の危険性が極めて高く、実際にイレッサを投与できるかどうかは難しい判断を迫られることになるらしい。合併症の危険性はまだまだ高いそうだ。この日からシャワーはOKとなった。ただし傷口をごしごしこするようなことはだめだ。
 午後検温36.9℃、酸素飽和度97%、相変わらず体温が高い。医師や看護師は術後なのである程度体温が高いのは仕方がないとは話されるが、やはり合併症ではと不安になってしまう。
 夕食後シャワーを浴びる。初めて傷口を鏡に映してみる。右肩甲骨下辺りから18cmの創があるはずだが、全部を見ることはできなかった。
 
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病棟からはスカイツリーもきれいに見える。
2011/9/2
(金)
ネブライザー

 前日は午後9時頃就寝しようとした。CDを聴きながら寝る。途中で寝てしまい、また目が覚める。聴いていたCDはまだ終了していない。大体30分程度眠り目が覚めるという繰り返しの感じだ。目が覚めるとトイレに行く。用を足し、手を洗うとやや咳がしたくなり、やや意識的に咳をして痰を出す。咳をするとまだ響いて右胸がかなり痛く感じる。痛み度、3程度だろうか。この咳とタイミングよく横隔膜を上に跳ね上げ息を勢いよく吐き出すと痰も比較的楽に排出できる。とにかく合併症が怖いので痰はできるだけ吐き出さなければならないのだ。ティッシュに吐き出した痰を観察する。ときどき血痰が出る。長さ数mmの糸状の血が混ざっていた。看護師に出た痰を見てもらうが、問題ないとのこと。でもやはり気持が悪い。鮮やかな赤で量も多いときや緑色の痰などの場合は問題らしい。
 夜、ほぼ1時間毎に目覚めトイレに行く。そのときベッドから起きあがるときがつらい。特に右腕に力を込めると痛みが強くなる。
 術後1,2週間は合併症の危険性が非常に高いらしい。それを避けるために積極的に痰を吐き出す必要がある。毎食時毎に服用する痰のキレをよくする錠剤もあるが、更にネブライザーと呼ばれる器具を用いて更に痰が出やすくする処置を行う。
 ネブライザーを用いて気化された痰切れをよくする薬剤を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。これを約10分繰り返す。1日3回行う。最初は胸郭を横に拡げるほど思い切り吸い込み、胸に痛みを感じたが、やがて、どの程度まで吸い込むと胸筋を使って吸い込むかが掴め、その手前で吸い込むのをやめて息をゆっくりと吐き出す。こうすることで痛みを感じることなくネブライザーを用いての処置が行えるようになった。
 午後美人の担当医から今朝の採血結果の説明があった。異常を示していた項目は次の通り

結果値 基準値 意 味
総蛋白 5.7 L 6.5-8.0 栄養状態や肝機能障害を推測するための指標
アルブミン 3.0 L 3.9-4.9 健康、栄養状態を推測するための指標
ALT(GPT) 118 H 4-30 肝組織の障害を推測する指標
LDH 260 H 100-230 肝臓などの障害を推測する指標
ナトリウム 147 H 137-145 腎機能などの障害を推測する指標
クロール 111 H 98-108 腎機能などの障害を推測する指標
CRP 4.4 H 0.0-0.4 体内での炎症や組織障害の存在や程度を推測できる指標
白血球数 10.10 H 3.5-9.0 多いと体内で炎症が起きていたり病原菌が進入していることを示す
赤血球数 377 L 410-530 酸素の運搬能力を示す指標
ヘモグロビン 11.4 L 14.0-18.0 酸素の運搬能力を示す指標
ヘマトクリット 34.2 L 40.0-55.0 貧血の程度などを推測する指標
血小板数 11.8 L 12.0-36.0 減少すると出血しやすくなったり血が止まりにくくなる。

 医師の説明によると概ね順調な回復ぶりを示しているらしい。個人的にはCRPと白血球数が一番気になっていた。ともかく合併症や感染症が無茶苦茶恐ろしいのだ。
 そのため食後は直ちに丁寧に歯磨きとうがいを徹底的に行った。またデイルームと呼ばれている談話室のようなところに置いてある書物などに触れたときは手洗いを丁寧に行った。
 まだ自由に歩き回れるほど体力は回復していないのでベッド上で過ごすことが多かった。入院中はテレビは一切見ず、持参したCDを聴いて過ごした。聴いているうちについつい寝てしまう。日中にこれを繰り返していると夜、眠れなくなるのが辛い。他の患者も同じように夜眠れないのがとても辛いとのことだった。
 
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病院食(全粥食)

 当初、病院食なんて・・・、と思っていたが、その食材の豊富さ、栄養バランスの良さなど、健康にはとても優れた食事と思うようになった。
 食事が待ち遠しく思えるようになってきた。
2011/9/1
(木)
病棟へ

 長年の生活習慣のためか連続睡眠できるのは大体午前3時過ぎになってしまう。それまではベッドの上で短時間の断続睡眠を繰り返しながらベッド上で過ごす。
 午前、左の点滴用の注射針を外してもらう。
 尿道カテーテル、美人の看護師に外していただいたが、初めはちょっと躊躇してしまった。覚悟を決め外して貰う。チューブがするすると抜かれていく。どの位の長さかは不明。露わになった股間部を美人看護師に消毒か何か知らないが清潔にしてもらう。私の過去の水商売の経験からするとえてして美人看護師はサド傾向が強いのだ。このとき看護師の表情を観察するのは忘れていた。サディスティックだったかもしれない看護師の表情を観察しておくべきだった。
 もうドレーン・チューブからは殆ど何も排出されなくなっている。美人医師が看護師と共に来られてチューブを抜いて貰った。このドレーン・チューブは痰とは無関係で、肺の外側の液を出すためのチューブということだ。2日後には入浴可能ということだ。
 午前中、ICUから外科病棟へ移動。右手には点滴用のチューブ、背中には痛み止めの薬注入用のチューブが刺されている状態だ。生まれて初めて車椅子を利用して外科病棟に戻った。6人部屋だが区画が手術前とは異なっていた。新宿の高層ビル群が素晴らしく眺めることのできる南側の区画だった。
 車椅子から自力でベッドに移動。酸素飽和度は93程度に低下。看護師が鼻から酸素供給するためのチューブをセッティングしてくれる。
 尿意を催してきた。多分一人でトイレまで行けると思うのだが、最初は看護師の付き添いが必要だ。点滴用の車の付いた柱状のもの(何と呼ぶのか知らない)を支えにトイレまで介護無しで自力で歩く。トイレまではおよそ20〜30mの歩行距離だ。看護師は私がふらついたりしないように側で見守ってくれている。それと尿道カテーテルを抜いてから最初の尿意なので、正常に排尿できるかどうかを看護師は確認しなければならないそうだ。ベッドに戻り酸素飽和度測定。96だった。95以上が正常値らしいので、我ながら素晴らしい快復力だと思う。もう酸素供給の必要性もなくなった。
 12時過ぎ、昼食。相変わらず全粥食となっている。全部平らげた。6人部屋にも洗面台があるが、私はこれは利用しなかった。トイレ近くにある洗面台を利用した。ここには椅子が備えられており、座りながら歯を磨くことができるからだ。とにかく合併症が怖い。食後すぐに歯磨きとうがいを行うよう心がけた。歯磨きも普段よりもバカ丁寧に行った。かかりつけの歯医者の指導通り丁寧に磨いた。歯の間や食道に食べかすが残っているのが怖かったからだ。食べかすが残っている状態で咳をすると肺に食べかすが吸い込まれる可能性が高いと判断したからだ。
 いつだったか忘れたが、食事中に咳をしてしまった。歯磨き後、1,2時間後に痰を出した。吐き出された痰を観察すると直径1mm程度のパセリの葉が吐き出されていた。肺から吐き出されたのか食道にへばりついたのが痰と共に吐き出されたのかは分からない。以降、食事時には咳き込むことがないよう気を遣った。
 15時、移動式のX線撮影装置でベッドに寝た状態で胸部正面と横からのX線写真撮影。
 18時、右側の点滴も終了。両腕が解放された。残りは背中に差し込まれている痛み止め薬注入用の直径1mm程度のチューブのみ。0.2%の確かアナペインという薬剤で1時間に4mlの流入量に設定されていたと思う。痛みが辛いときにはチューブ途中に組み込まれているボタンを押すと増量できるようになっている。ただし、このボタンは1時間に1回だけ可能になっている。何回か利用したが、どの程度の痛みの時に利用すべきかよくわからなかった。ともかく入院中痛みは殆ど感じなかったのだ。胆石症の痛みを9とすれば感じた最大の痛みは0.4程度だったと思う。咳き込んだときに傷跡に響く痛みは私の基準では最大でも2程度だったと思う。咳き込んでもやや痛みは感じるが殆ど1以下だった。6人部屋の病室のベッドは電動ベッドではない。ベッドから起きあがるときが当初は辛かった。ベッドサイドの柱を支えに上半身を起こす。このときに痛みを強く感じるがそれでも2程度の痛みだ。
 夕方、一人でトイレに移動できるようになる。夕食後歯を磨くとき右手で歯ブラシを振動させると傷跡が痛む。当初はこれがイヤで左手に歯ブラシを持ち替えて磨いた。
 深呼吸などのリハビリも行う。腹式呼吸で横隔膜を下げ息を吸い込む。一杯まで横隔膜を下げると恐らく90%以上空気を吸い込んでいると思う。更に吸い込もうとすると胸郭を拡げようと胸筋も用いる。このとき右上肺前部に痛みを感じた。あたかもくしゃくしゃに畳み込まれた風船がある時点で急に開いたときのような感じだ。その瞬間何かペキッという感じの痛みを感じる。とても不愉快な痛みなので息を吸い込むときは極力胸筋を使わないように心がけた。息を吐き出すときには痛みを感じない。
 夕食後、知人達に電話をかけまくる。痛みの少なさ、回復の早さなどを話す。病室では翌日に胸腔鏡手術を控えている患者と長々と美しい新宿高層ビル群の夜景を見ながら立ち話をする。これがよくなかったようだ。ちょっと調子に乗りすぎたようだった。後でややふらつきを感じる程度まで体温が高くなってしまった。
 
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病室から眺めた新宿高層ビル群。
2011/8/31
(水)
ICUにて

 10〜30分程度の断続的な睡眠を繰り返しつつやっと朝を迎えた。ICUではほぼ30分おきに看護師が検温や血圧などのチェックを行ってくれる。手術直後は口元に酸素マスクがあてがわれていたが、途中で鼻の穴に直接酸素を送り込むチューブに変わった。まだ補助の酸素が供給されないと厳しい状態だ。
 右脇からドレーン・チューブが出ている。時々出血も見られる。多分負圧をかけて胸部の異物を吸い出しているのだろう。
 午前9時頃、執刀医が来られる。手術についてはほぼ満足できる状況だったのだろう。私自身の回復もかなり早いようだ。
 まずは口から水分摂取する。最初は恐ろしい。うまく飲み込めず肺の方に流れ込んだら大変だ。慎重に少しずつ水差しの水を飲む。
 午後0時、早くも昼食を食べることになった。また術後24時間も経過していない。全粥食とはなっているが、おかずは鶏もも肉のソテーなど、普通食と変わらない。全部食べた。食後看護師の介護を受けながらベッドで歯を磨く。もう飲食物が肺に紛れ込むのではという不安も殆ど解消してしまっている。
 放射線科の技師達が移動式のX線撮影装置をベッド脇にもってきてベッドに横たわったまま胸部X線撮影を行って貰う。
 血圧や体温は徐々に低下してきて36℃台になった。早くもベッドから離れ立ち上げる動作をさせられる。自力ではベッドから起きあがることが出来ない。電動ベッドで上半身を起こしてベッドを離れ起立する。何となくふらつく感じがする。
 鼻へのチューブ経由での酸素供給を断つと酸素飽和度は93程度まで落ち込んでしまう。95以上が正常値だ。まだしばらく酸素を供給してもらわなければならない。酸素吸入を受けていると酸素飽和度は96〜98の値を示す。
 CDを聴きながらうとうとした時間をベッド上で過ごす。痰も予想していたほどには出ない。喫煙歴の長い患者はこの痰を吐き出すのがつらい場合が多いらしいが、私の場合はそれほどでもなかった。この1年声楽で腹式呼吸のトレーニングを積んできたのが大変役だったと思う。無理に咳をしなくとも、横隔膜を勢いよく押し上げるだけでそこそこの痰は排出できる。時々血痰もあり、気持が悪い。
 痰を吐き出せずにいると肺炎などの合併症に陥る可能性が高い。看護師の説明によると、特に痰が詰まっているような感じがしなければ無理して痰を吐き出さなくても良いとのことだった。
 
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 腺癌が増殖していた右肺葉下は切除され、右側の横隔膜が上昇している。
 枕木のような明確な線は創を繋ぎ止めているホッチキス。手術では18cm開胸し、肋骨も切ったらしいが、切った痕は私にはこの画像では判読できない。
2011/8/30
(火)
手術当日

 午前4時半頃目覚めうとうととしていると午前6時に看護師に起こされる。検温36.5℃、血圧108−72。抗生剤(クラリシッド錠)を服用。便意は無かったが、消化器系の手術ではないのでお腹にたまっているような感じがなければ浣腸などで強制的に排便させる必要はないとのこと。
 手術後集中治療室で2日間過ごす予定なので歯ブラシなど必要なものを纏めて袋に入れる。
 午前8時半執刀医が挨拶に来られる。年齢的には40〜50才位の一番脂がのってきている感じの呼吸器外科部長だ。とてもかっこいい、凛々しい。頼みます・・・、センセィ。
 午前9時過ぎ看護師に付き添われて手術室にとぼとぼと向かう。まるで死刑執行される死刑囚の気分だ。精神的にかなり高揚しているのが自覚できる。
 厳粛な雰囲気の中央手術部の扉に到着。立派な扉の通用門風の小さな入口から手術室に入る。中は比較的広く手術室へは更に扉を通過しなければならない。ここで小さな着替え部屋に案内される。肺梗塞の合併症防止のために弾性ストッキングを着用。スッポンポンになり手術着を着る。
 看護師に付き添われ手術室入口手前の受付で確認を受ける。ここからは手術室の看護師に案内されて手術室に向かう。複数の手術室があるようだ。
 手術室に入る。かなり興奮していたためかここまでよく観察出来なかった。意外と小さな手術台に乗る。多くの医師や看護師が動き回っている。多分執刀医にメスなどを渡す役割の看護婦、めちゃくちゃ聡明で美人だったと記憶している。手術室はドラマ「医龍」に出てくる手術室よりは古くさく感じる。ちゃんと私の胸部X線写真やCT画像が張られている。
 手術台で横になり背中を丸めて硬膜外麻酔のために直径1mm程度のチューブを背中に差し込まれる。特に痛みなどは感じない。仰向けになり点滴用の針などがあちこちに刺され、色々なモニター類が装着される。
 笑気ガスのマスクが接近してくる。いよいよだ〜、怖いよ〜、手術死亡率1%、うぇ〜ん、もうなるようになれと覚悟を決めたと思った途端、手術が無事終了し目覚めさせられた。手術台の上で目覚めたのか、ICU用のベッドに移動させられてから目覚めたのか記憶は定かではない。
 ベッドごとICUに移動。意識朦朧としていたが、とにかく痰を吐き出すことが重要と考え何度か痰を吐き出した。付き添いの多くの看護師達が私の吐き出した痰を拭き取ってくれる。
 ともかくICUのベッドで安静にする。左右の手には点滴、右脇下からはドレーン・チューブ、尿道にはカテーテルが差し込まれている。背中には痛み止めの点滴用チューブが差し込まれている。胸には各種モニター用の装置が取り付けられている。痛みは全く感じない。口には酸素マスクがあてがわれている。手術直後なので私の肺は通常の空気からは十分に酸素を取り込むことができないのだろう。
 恐らく20〜30分毎に体温や血圧などの測定が行われている。ベッドの前には看護師がいて常に側に付き添ってくれる。とても手厚い看護だ。
 結核痕の影響による癒着は殆どなかったため手術時間も4時間で済んだらしい。切開も18cmだったらしい。手術自体よりもこれからの合併症対策が重要だ。とにかく寝る。10分寝ては10分起きているという繰り返し。ICUのベッドでは肺梗塞防止のため機械的に下肢をマッサージしてくれる。これがなかなかすぐれものだ。気持が良い。
 殆ど意識朦朧のまま、10分眠っては10分覚醒というリズムを繰り返しながらICUで一晩を明かす。
 
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中央手術部入口
ここから先は関係者以外は入れない。面会者も入れない。
2011/8/29
(月)
入院

 午前10時過ぎ入院手続きを済ませる。今回は8階西病棟。8階は外科患者の病棟のようだ。6人部屋で一番南側、新宿の高層ビル群の眺めが非常に良い。
 午前中に採血、4本も採られた。血圧107−74、酸素飽和度98、良好だ。手術直前のX線撮影。正面と横からの2枚を撮影。
 午後執刀医から説明を受ける。右下肺葉切除と同時にリンパ節郭清を行う。過去結核を患っているため胸膜癒着があるので剥離に時間がかかり手術時間は麻酔時間も含め7時間、長年喫煙習慣があったため肺気腫や肺腺維症があり、肺からの空気漏れや、合併症として肺炎になる可能性がやや高い、肺腺維症は急速に悪化すると致命的となり致死率50%、手術での致死率は1%と初めて聞くとても恐ろしい内容の説明だった。こういった危険性を認識した上で手術同意書に署名する。恐ろしいけれどもこれ以上手術が遅れるともう手の施しようがなくなってしまう。もう覚悟しなければならない。
 看護師が除毛に来た。右脇から腹部にかけて除毛される。腹式呼吸トレーニングのためのトリフローという器具を借りる。日頃腹式呼吸のトレーニングを行っているのでトリフローは楽々と楽しめる。
 麻酔科医の説明を受ける。ICU(集中治療室)の見学、術前検査で入院したときの担当医の方まで挨拶に来られる。看護計画書とか治療計画書など色々な資料を受け取ったり署名する。外科病棟では手術前後の患者はもっとも主役らしい扱いを受ける。
 談話室で病理病期TBの患者の家族の方と話す。私とほぼ同じだ。この方は1年前に手術を受け非常に元気だそうだ。現在抗ガン剤治療中とのこと。こういった同じような症状の方とお話しするととても参考になる。
 夕食後、入浴を済ませ抗生剤、下剤、睡眠薬(レンドルミン)を服用。午後9時以降は飲食禁止だ。
 21時30分頃就寝。
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 6月に指摘されたX線画像よりも患部はかなり大きく鮮明になっているような気がする。